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石膏デッサン29日目~色が分からぬ・・~

 今日の作業はとにかくでした。実はまともに色をつけたことがなかったため、何もわからない状態です。はたして色の法則はつかめるのでしょうか。

 形をとるのは見たままを写せばいいのですが、色は見たままのを描くことはできないので難しいです。少し時がたっただけで光の当たり方が全然違うものになってしまうため、見たままを追うと発狂します。もし光の位置が固定だったとしても壁や隣の石膏像など本来ないはずのものがあって右からの光のみが当たるという設定と違うものになっていますから色を置き換える作業が必要です。それらの問題をクリアしてもなお見たままを描くだけでは立体感が出ないので、やはり今黒く見えているけど、立体感を出すためにコントラストを下げるといった作業が必要です。

 形をとる時も頭を使いますが、色を描く時も同様に頭で描かなければいけません。しかし、そもそも模範解答というものがわかりませんので、一体どこをどうすればいいのか手探りの状態です。いや、本当にそうか?見本や他の人のデッサンを理論的に見れていないだけとちゃうんか?もっといろんな人のを見て分析できないと、手探りでは伸びしろが薄いような気がします。ということに今気づきました。おせーし!いつもそうなんですよね。終わって結果がわかってからじゃないと気づかないという。事が起きる前に予測して行動しないと意味ないですねまるで俺の人生そのもの。何度も言う。何度も同じ事言ってしつこいと思われるかもしれない。でも言う。10代でやっていれば、結果を予測して事前に正しい行動を取れる大人になっていたかもしれない。

 それはそうと、今日は午前中に3人の先生が来るというありがたい日でしたので、その先生方がおっしゃった貴重な言葉をメモしていきたいと思います。

やり方は人それぞれで、決まったパターン・これが正解というやり方というのはない。形から描く人もいれば、色から描く人も、色と形両方描いていく人もいる。自分が一番やりやすい方法を模索してください。

 つまり、自由にやればいいということですね。昨日紹介した衝撃のデッサンの方のやり方でもいいわけです。しかしいろんな方法を経験しないと、自由にやれと言われてもどうしていいかわからず立ち往生するハメになります。要するに選択の自由というわけです。

目はあくまで見ているだけだから、目で見たものをそのまま写そうとしても駄目。目で見たものを、頭で解析して考えながら描かないといけない

 目は都合のいいように見る。紙に描いたデッサンに合わせて見てしまう。

 これは確かに言えています。特に私は思考が停止しているのに気づかなかったりするため、肝に銘じておかなければなりません。思考が停止しているから気づかないということもありますが。見たままを描く→間違っているから消す→同じところにまた見たままを描くという無限ループに陥ることがよくあります。この無限ループだけでもかなりの時間を無駄にしたものと思われますので、今後一切同じ失敗を繰り返さないという覚悟が必要です。そうでないと一年経って振り返ってみたらそうなっているのに気づいたでは目も当てられません。

部分をちょっとずつ描くだけでは石膏像の持つ流れ、リズムがぶつ切りになってしまう。一部描いて、面倒なところは後回しにしてはいけない。

 リズム・流れの大切さは中学・高校でスポーツをやっていたのでわかります。一回サーブミスっただけで一気に流れが悪くなり、勝ち試合が負け試合になったなんてこともよくありました。逆に流れに乗ってしまいさえすれば、自分より強い相手に勝ってしまったりもします。それほど何においても流れは大切なのです。まあスポーツ漫画・バトル漫画ではそのパターンを悪用して、どう多めに見ても絶対勝てない相手を強引にねじ伏せたりもしますが。しかし何度も部分でやるなと言われていたのに、同じ誤ちを繰り返してしまいました。しかし、そのときは全体を捉えていると思い込んでいたのです。違いましたね。自分が思っているよりもっと大きい流れがあり、石膏像全体をつまんでいかなければいけません。今アグリッパの面取り(ポリゴン像)を描いていますが、やはり面単位でやってはいけませんね。そういう目的で存在しているわけではありませんし。

石膏像・顔はある程度パターンが決まっている。それを自分で検証していかなければならない。

 どれも全然違うように見えるのですが、だいたい決まったパターンというものがあるそうで、慣れればスッと描けるようになりそうです。それもちゃんといろんな石膏像のいろんな箇所の比率を計ったりして検証していった場合の話ですが。勘も大事ですが、勘が大事だからといって計りを怠ったら伸びしろがなくなりますね。今の私の状態です。ハイ、治します・・。

⑤色が黒すぎる

 私がつける色はどうしても濃くなりがちなんです。それは、時間短縮のためにガッと線を入れるからという理由もありますが、かなり濃く色をつけても結局残らないという苦悩もあるからなんです。色描いただけじゃ粉が紙の目に入っていない状態でして、指で抑えて紙の凹凸の中に木炭の粉を押し込まなければいけないのですが、その段階でかなりの量の木炭が指にくっついてなくなってしまうので、かなり濃く描いているのです。これはどうなんでしょう?漆を何度も縫って層を分厚くしていくように、何度も上から描けば定着するのでしょうか?よくわかりませんが、とにかく木炭が紙に定着しません。

 先生のおっしゃっていたことをだいたいメモし、改めて色つけ作業へ。とにかくわからなかったら考えるしかありません。どうやったら自然に影がつくのか。
 右から光が当たるという設定のため、上は明るく下は暗い・右は明るく左は暗いはずです。それに加え、手前は黒く、奥はコントラストを下げると奥行が出るということを考慮します。その結果 ↓

20120229 agr a
20120229 agr sekko
 

 どうでしょう?一応それっぽくなってきたですねとは言われてはいるのですが、もっと自然にできないでしょうか?
 それと、今日の主題は色でしたのであまり触れませんでしたが、顔のパーツ、とりわけ目が全然合っていません。これはもう比率の問題だと思いますので、じっくり見て似せて描こうとしても無限地獄に陥るだけかと思います。

 今日の宿題は色どこを濃くすれば立体的に見えるかですね。今から検証はキツイな。でも無理しないと時間がないんだ。気合を入れろ!ケツ引き締めろ!


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石膏デッサン28日目 ~衝撃を受けたデッサン~

 今日はいろいろなことがありましたが、全部書くわけにもいかないので、一番重要なことを最優先で書きます。ブログ書く前に一悶着あったので今日は書くのが遅くなってしまいました。今日の作業内容とメインに分けました。

 まず形色をつける前に形にこだわりたいと思っていました。先生には大体形は取れていると言われたのですが、どうしても顔が凝縮されているような気がしたので、計測を繰り返しました。でもやっぱりどこがズレているかわからなかったので、結局iphone頼みになりましたが、顔のおかしさはカメラで見てもよくわかりませんでした。なので、完全に顔のパーツが小さいと決めつけて大きくしました。これで少しはマシになりましたが、イマイチ納得いきません。もしかしたら全体がズレていて、顔がおかしく見えるだけかもしれません。もはや何が何だかわからん。

 顔のパーツは後でもええやろ?ということで、とりあえず色を描くことにしたのですが、色の付け方が全くわかりません。 

 作業が進まなかったり立ち往生したりする時はだいたいトイレ行ったり廊下に出てデッサンの見本眺めていたりするのですが、そこで声をかけられました。その方は私と同じ24歳で、現在大学院を休学しているそうです。凄くフレンドリーな方で、一見すると何の問題もなく人生を謳歌できていそうに見えるのですが、なぜ休学?と思ってしまいました。他の人には想像もできない闇を抱えているのでしょうか。それとも、自分のやりたいことを突き詰めるためにあえてそうしているだけでしょうか。人のことなんかどうでもええねん。俺ニートのくせに人をとやかく言う資格ないやん。いや、確かに人を散策するのはアレでが、ただその人のことをもっと知りたいという思いはあります。学生時代までは人という生き物は避ける対象でしかありませんでしたが、今では知ることで理解できることもあり、また理解することによって自分のことも理解できるようになるということがわかったのです。人は自分を写す鏡ですからね。それは、コミュ障には辛い話ではありますが、どんなにコミュニケーション障害であったとしても、誠実な心・人としての礼儀・美意識を忘れず、また人を思いやる想像力があれば、ディスられる可能性は少なくなると思います。ただ、やはりコミュ障には心のゆとりが全くない状態ですので大変厳しい意見ではありますが。ただ、そうすることによって少し楽になるという事もまた事実です。

 それはいいとして、その方のデッサンを見せてもらいました。すると・・。見た瞬間

 「なにコレ?」 ってなりました。あまりにも予想外だったのでうまく反応できませんでした。
 
 もちろんいい意味でです。しかし、その方のデッサンは今まで見てきた方のとは全然違っており、ある種の特異性があったのでびっくりしたんです。

 石膏像の線とは関係のない線が無数に引いてありました。私が今まで見てきた中でのうまい人というのは、無駄な線がほとんどなく、いかに正確に描いてあるかということが突き詰められていたのです。しかし、この方のはむしろ真逆。ねじれた濃い線が画面を席巻しておりました。

 しかし、それが凄い迫力をかもし出しておりました。まるで今にも動き出しそうなほど生き生きしているんです。というか、画面の中で動いている。嵐に乗ってやってきた人みたいな雰囲気。効果音もないのにゴォォォォー!っという音が聞こえてきそうです。もちろん実物の石膏像と激似です。

 変な線がいっぱい引いてあったのは石膏像の持つ流れを掴むためだそうです。その線は完成時にはきちんと消えているそうですが、意外と完成させるまでのプロセスは何でもいいんだなあとは思いました。まあ基本がきちんとできているからできるのでしょうが。今の私にはちょっとまだ早いかもしれません。違うな。早いとか言ってやり方を限定していたら伸びない。これを真似するんだ!その方はこの方法は邪道と言っていましたが。

 でもこれは一度練習してみる価値は大いにあります。何と言ってもうまいだけじゃないんです。魅力的なんです。流れ、ムーブを意識しているせいか、この方の描くメディチは超イケメンです。石膏デッサンとは技術のことだと思ってきましたが、そうではないということがわかってしまいました。デッサンは絵の練習ではなく、絵そのものだったんだ。それほど衝撃を受けました。

 しかもどこかで習っていたのですか?と聞くと、デッサンの本とか読んでいるうちに気づいたとおっしゃいました。この方は天才なのかもしれない。そういえば個展も開いていたと聞きました。見てみたい。この方がどういう絵を描いているのか知りたい。 

そこまで凄いデッサンとは、一体?・・↓































ごめんなさい。無断で載せることはできません。まさかブログ書いているから載せていいかとも聞けないし。

 その方に、色のつけ方も聞きました。奥行を見せるためには、手前のコントラストを強く、奥のコントラストを弱くするといいと言われました。奥をぼかすということではありません。あくまで、色を弱めるだけです。

 ということで手前を黒くしましたが、なんだか全然ダメです。もともとの理論を全部無視してとりあえず手前にあるものだけ黒くしていってしまったため、出っ張っているところが凹んで見えたりもしていました。あくまで実際こうなるはずという光の強さを手前と奥とで置き換えるだけです。とにかく理論上影になるところと、立体感を出すための影の付け方というのは違うけど、そのどちらも考慮しなければならないというのが難しいところなんです。明日はとにかく色ですね。

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 今日思ったことを最後に書きます。やはり自分が今までしてきたつもりになってた石膏デッサンのやり方というのは、意外にも狭い視野で描いているものでした。もっといろんな世界を見て、いろんな人の話を聞かないと成長しないですね。もっと多く感動するのです。そのためには、勇気を出して外に出なければいけません。


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石膏デッサン27日目~割といいスタート~

 先週は失敗だらけで結局色すらまともにつけられませんでした。今週はどんな週になるのでしょうか。とりあえず一つ言えるのは、珍しく遅刻しなかったということです。席はここにしたいと決めていた所がとれました。何を描くかというと、またアグリッパです。↓

 またかよ。と思うかもしれませんが、アグリッパ厨。なので許せ。
 というか、アグリッパにこだわったのはアグリッパが一度もまともに描けたことがないということもありますが、コンクール対策でもあります。

 コンクールって何ぞや?と言いますと、上のクラスに上がるための試験です。そこで60点取れれば石膏後期の部屋に行くことができます。試験と言っても参加は自由で、私は出ます。しかし、100%合格することはありません。それは「俺勉強してねーからwwwマジやべえっすわwww」ってことではなく、合格するには石膏デッサンを初めて1年~2年はかかると言われておりますので、わずか1ヶ月しかやっていない人は参加目的が合格ではないのです。参加することによって、納期までに人に見せても恥ずかしくないぐらいの作品を仕上げるという修行をするのです。生きている限り、明らかに実力不足・時間不足でも完成にもっていかなければならないことは誰でもあると思います。不完全であろうが何であろうが、時間内までに仕上げる。社会では無茶振りにも対応する能力が求められると思うのです。ですから、私も凸激します。先伸ばしすると、まだ3月だから次は5月に出すと言い、5月になったら次は7月に出すと言うと思うので、甘えを許したくないと考えている面もあります。

 そして、コンクールでは席とりはクジ引きで行われるため運ゲー要素は強いのですが、アグリッパは比較的人気がないそうですので、狙い目ということもあるんです。アグリッパ人気ないんか・・。

 それはそれでいいとして、今日の作業内容を書きます。前回同じ部屋の方に最初はフリーハンドで描いて、後で計った方がいいと聞きましたので、そうすることに。それ+大事なところを計れば最強じゃないか?ということで、計りとフリーハンドのバランスをとりながら描く。
 という予定だったのですが、下描きの段階で大きなズレが発生しておりました。頭がでかいとか首が太いとかいうのではなく、そもそも構図がおかしいというか。
 
 ここで気づきましたね。完全フリーハンドで描いた方がいいと。いや、違うな。手順がおかしかったか、計り方が間違っていたんでしょうね。計るにしてもおそらく全体をしっかりイメージしながら計れると成功して、部分しか見れていないと失敗します。

 一応修正していったのですが、なんだかアグリッパというよりただの若者になってしまいました。これは失敗パターンです。そして、失敗パターンになるとなかなか修正がしづらいのです。前回でもその話について触れましたが、やはり真っ白な紙に描き直した方がやりやすいです。一から描き直すのではなく修正という形になると、紙に描きかけた絵に惑わされて目で見た石膏のイメージが反映されにくくなってしまうんです。

 しかし、今回は修正の練習もしてみたかったので今回は続行することに。
 修正という形をとるからいけないのです。ですので描きかけてはいますが、紙には何も描いていないという設定にして今までの線は無視し、一から書き直すつもりで全く新しい線を描いていきました。

 それが思いの他有効だったみたいで、なんとかアグリッパっぽくもっていくことができました。

 それはそれでいいとして、一つ疑問が発生しました。目で見てもどこが悪いのかわからない時はカメラで撮った画像を見れば一発でわかるのですが、それは反則ではないか?いや、使えるものを全部使って描くのが知恵というもんやろ。いや、それをアリにしたら定規使うてもええことになるやん。どうなんでしょう?なんかチートくさいと思いながらも、それに頼るとうまく絵が描けるので使っている状態です。石膏デッサンの目的は客観的な視点の育成ですので、そのコンセプトに反しているような気もします。明日から封印するか・・。

 カメラの活躍もあって大体下描きはできました。しかし色は描きません。なぜなら自分がこれはいけると思っていても、脳内補正がかかっているだけで実際全然似ていなかったりするからです。ということで、色つける前にまず計ります。というか、ここで計らないでいつ計んねん。それこそ全てがフリーハンドになってしまいます。というか、結局勘頼みで描いてしまいました。計りを有効に使って論理的に描けるやり方もマスターしなければなりません。勘と理の両方を兼ね備えるのが絵が上達する方法になると思いますので。

 
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20120227 agr sekko


 前回より随分とマシになりました。前回これですからね。↓

20120225 agr
 

ただ、教室にいた時はもっと「これはいける!」と思っていましたので、今写真で見比べてみると大分現実に戻された気がします。一応現場でもiphone使っていはいたんですけどね。

 ちなみに、同じ部屋の方は早描きの人が多く、一日もたたずにほぼ完成させておりました。そういう方は総じてうまいです。この方々に追いつくには、もうそれはそうとうの事をしなければならないでしょう。というか無理。そういう人たちは私以上のスピードで進化し続けますからね。でもまあ目標がイメージしやすくなったので私にとってプラスのことです。


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番外編 ~若い頃を無駄にするということは、どういうことなのか?~

 今日は石膏デッサンは休みの日ですので、日頃考えていることについて書きたいと思います。その中でもとりわけ強い思いは、10代を無駄にするということは一体どういうことなのかということです。

 10代最も多感な時期でして、物事に対する感じ方が20代中盤とは全然違います。感動が違うのです。

 10代はまだ世の中も己の限界も見えておらず、全ての扉が「未知」の世界。だからいろんな扉を開けてみて、その中で自分が一番しっくりくるもの、一番好きな事探すのです。扉の中の世界は微笑んでくれることもあれば、谷底に突き落とす時もあります。その両面を体験する中で、人は成長していくのだと思います。
 
 それをしないとどういうことになるかというと、まるでインスタント食品を買ってきてレンジでチンして食べるかのようにお手軽な快楽を求めます。苦労しなくてすぐ味わえる快感。しかしそれは未来に繋がりません。その場限りで消えてしまいます。いわば「時間の切り売り」。今さえよければそれでよい。しかし、今さえ良ければそれでいいというスタンスの生き方は、今でさえ楽しくは生きられません。今を楽しく生きたければ、それ相応の苦労をしなければなりません。等価交換です。

 わかりやすい例を紹介します。高校の頃の友達で1、2年の頃から薬剤師になりたいと言っている方がおりました。その人は薬学部を受験して無事合格。6年勉強した成果が実り、この不況の中大手の製薬会社に内定が決まりました。
 
 それに対し、ある人は高校の往復だけで勉強もロクにせず、ただ何となく今の時代大学ぐらい出ておかなきゃと思い、一浪して誰でも入れる大学に進学。大学に入っても特に何をするでもなく、ただ授業がかぶってるだけの友達とゲーセン行ったり雀荘行ったりして時間を使い捨て、その結果内定も0。紹介予定派遣の仕事をするが、使えないどころか会社の不利益になるようなことを繰り返してクビになる。そしてニートへ。

 そのある人というのが、です。確かに楽してきましたが、決して楽しいとは言い難い生活でした。現在絵画教室に通っていますが、その充実度は学生の頃と比べ物になりません。しかし、もう全ては過ぎ去りました。遅いのです。24歳にもなったら、もう働かなくてはいけません。その段階で絵画教室に通いたいというのははっきり言ってワガママです。親は一貫して放置を貫いてきたので何も言いませんが、本来ならばオモチャを買ってとダダをこねる幼稚園児と同じ。それをあえてするというのは、誰に何と言われようが扉を開けたいという思いがあったのも一因です。

 ここからは後半になります。

 扉の話はいいとして、やはり感覚の問題が大きいです。子供の頃行ったディズニーランドはまさに夢の国。しかし、今行っても「着ぐるみの中の人はバイト代いくらもらっているんだろう?」程度にしか思いません。アトラクション所詮営業の産物ということがわかってしまっていて、点数さえつけていきがちです。まあ楽しいと言っちゃ楽しいですが、何か違いますね。中学生の頃やったドラクエはまさに神ゲーで、幻想的とも言えるものでしたが、今やってもレベル上げの作業としか感じられないでしょう。カマイタチの夜などのホラーゲームも、若い頃深夜にやったら心底震え上がったものでして、やりだすとトイレにも行けず、自分の部屋に戻ることもできずに固まってしまうという現象も起きたほどですが、今では怖いと感じることはあっても、普通に寝て朝になったらケロリと忘れるレベルです。

 悲しいですが、人間10代をすぎると一種のアパシーと言いますか、感性が鈍くなってくるのです。大人になって物事に動じなくなったとも考えられますが、それは違うと思います。その9割はおそらく肉体の衰えでしょう。肉体が衰えたから、感性も落ちているのです。それでも20代はまだ無理できる範囲内と言われておりまして、兄の前務めていた所の上司が、30代になったら心身共に衰えを感じるレベルと言っていたそうです。20代は心身に衰えはあっても、まだ気づきにくいです。その頃になると、もう若い頃のような無理がきかなくなると言います。これだけ平均寿命も伸び、長寿大国日本と呼ばれておりますが、その中で頑張れる期間は限られているのです。

 では美術教室に行っても無感動なのかというとそういうことはありません。前できていた事ができなくなるとそれはとてもムカつくことですし、できなかった事ができるようになると、それは凄い嬉しいことなのです。描けなかった日はイライラしてブログですねたりすることもあります。
 しかし、描けなくて心の底から悔しいかというと、そうでもないのです。なぜなら、もう結末を知ってしまっているからなんです。そりゃ一つの事を極めようとすれば、嬉しい時も悲しい時もある。それは避けられませんし、描けなくて悲しい思いをした日も長い目で見ればただの瞬間風速にすぎません。ですから、そんなに動じなくていいということを、もう知ってしまっているのです。

 10代なら、描けなかった日は帰りに空き缶を蹴っ飛ばし、描けた日はテンション上がりまくりで興奮していたと思います。そっちの方が幸福かもしれませんね。少なくとも、若いうちはそれが正解だと思います。まだ努力と才能次第で無限の可能性が広がる時期でもありますから、その感動は計り知れないものがあると思います。

 しかし、24歳スタートですと、どんなに頑張っても苦労が報われることがありません。 まだ20代だったらいくらでも可能性はある。絵描きも目指せる。美術教室に通っているおじさん、おばさん方はそのようにおっしゃいますが、現実は違います。本当に可能性があるのは10代スタートです。ダリ7歳の頃描いたが凄いです。ピカソ14歳頃の絵は本当に14歳が描いたの?と思えるぐらいリアルな絵が描けておりました。イチロー小学校の卒業文集には、既に行きたい球団・契約金まで具体的な目標が書いてありました。一流になるということは、そういうことです。

 兄はゴッホは27歳で絵を描き始めたから大丈夫だとか言いますが、だから生前売れなかったじゃないですか。死後何年も経って初めて注目されたのであって、一番知りたいはずの本人が知らないんです。それは芸術家らしくはありますが、私は不幸だと思います。素晴らしい絵なら生前売れてほしいですし、素晴らしくないならずっと売れないままであってほしくないですか?何十億で取引されているのに本人が知らないなんて、それはあまりに残酷だと思います。

 それはそうと、ゴッホは天才だったから27歳からでも間に合っただけです天才基準で考えるのは、あまりに平和ボケしすぎじゃありませんか?何回負けても今日こそ、明日こそ勝てると信じこんでパチンコにハマった人レベルの楽天家です。

 天才でなくても、一心不乱に努力し続けさえすれば、ある程度のとこまで行ける可能性がある。その歳が10代です。そこで芽が出なければ別の道に進むのです。
 しかし、美大・芸大の普通の人というのは、所謂一般の人から見ると想像もできないような人達なのではないでしょうか。あの中の一人一人が突出している。そりゃ何年も専門的に学んだのだらそうなるでしょう。これもまあ想像に過ぎませんが。

 なのに、24歳が絵描きになるだァ?目指すのは人の勝手だけど、ボクちんの頭の中の世界での出来事をいちいち人に言わんでくれるかなァ?というレベルです。

 まだ全力を出していないから。今の自分は本当の自分じゃないから。いつまでそう言い続けるつもりですか?何がどうであれ、今の自分が今の実力なんですよ。運不運があったにせよ、それは関係ないんです。本当の自分って何ですか?自分探しってなんですか?それもわからないということは、大きなガキなんです。そういう人は子供を生んで親になろうが生涯ガキのままです。

 私はそうなりたくない。でも未来を変える力もない。だから、せめて今できうる限りの事をしてみて、学ぶことはどういうことかを最後に知っておきたかった。自分の出しうる限界まで悔いなく突き進めることができたら、後はもうどんなキツイ仕事でもやります。誰もやりたがらないような、3kの仕事でも一生懸命やります。

 過去にも同じような話をしましたし、これからも同じ事を言い続けると思います。それは、かけがえのない10代~20代前半を無駄にしてしまったという負い目・コンプレックスから来るものでして、おそらく一生引きずっていかなければなりません。 それは、パンツについたウンスジのようにこびりついて離れることはないでしょう。

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石膏デッサン24日目~まじストレスゲー~

 タイトルでもううまくいかなかったことが明白ですが、今日はその様子を中心に書きます。結果的に言うと、昨日の「デッサンをぶっ壊す方法」というのは結局だめでした。

 今日は昨日の修正を元に、色をつけるだけの予定でした。その時の私は上機嫌で、今日は明るい一日になると確信していました。
 しかし先生が来て

「随分顔伸びましたね。」
「そうですかね。(やりすぎたか?)」
もう一回よく計測し直してください目の位置ももっと下がるし、ここもこうなって、そうしたらここもこうなりますので

 また全箇所修正か。まあいい。画面をぶっ壊す勢いでどんどん変えていったらええんや。勇気出して、勢いよく描いていけばいくほどいい絵になるねんで。

20120221 agr sekko

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20120224 agr kaiaku1

!?
20120224 agr kaiaku2

おい
20120224 agr kaiaku3

 おい、おかしい!宇宙人みたいになっとるやん! 

 修正すればするほどどんどんおかしくなっていき、しかもなぜ変なのかわからない。紙をどんだけ見ても合っているようにしか見えない。しかし、iphoneで写真撮ったときに異様な頭の形に愕然としました。頭が膨らんでいって破裂しそう。しかし、もう一度紙を見てもどこが悪いかわからない。デッサンスケールで計っても、はかり棒で計っても、何が悪いのかわからない。どこにもおかしい点はないはずなのに、カメラで見た時だけ異様なのがわかる。しかし、もはやどこがどうおかしいのかよくわからない。そのまま何回も描いては木炭の粉をハタき落としてを繰り返しているうちに、時間がどんどんなくなっていきました。これは無限地獄に陥っている。無限地獄に陥った時は、一端作業を止める以外に脱出方法はありません。しかし、心にある程度の余裕がないと、無限地獄に陥っている事に気づかないのです。自分では時間をかけて見れば見るほど理解が深まっていくような気がしますが、実態はよく見れば見るほど正解から遠ざかっていっています。もう時間が過ぎてしまって、帰る頃になって初めて気がつくのです。

 時間を無為に過ごしているうちに、今度は違う先生が来ました。この先生なら何とかしてくれるか。いや、自分で解決しろ。でもどうしてもわからないんだ。教えてくれ。いつもなら他の方が言われているアドバイスも聞いてメモするのですが、頭がいっぱいで全然耳に入ってきません。体感では凄く重要な事を言っていたような気がする。でも耳に入ってこない。
 そして私のターンになり、

「描き直してるの?」
「うーん。そうですね・・。朝までこの形で完成と思っていたのですが、先生にズレていると指摘されまして、全部描き直しです。どこがいけないんでしょうか?」
デッサンにおいて、完成というのはないこれで完成と思っていても常に間違っているんじゃないかと疑っていかなければいけない。


そうか。もともと完成なんてなかったんだ。どれだけ完成に近い作品を時間内に作れるか。

「でも、一箇所直すと全部ズレるので、どこを基準に直していいのかわからないんですけど。」
「こことこことここを比べて、どこが間違っているのか計測していかければいけない。」
複数の箇所を調べて、いろんな角度から見るということですか。」
「そう。それで今こうして細かい部分ばっかり描いてるけど、そんな細かいところ描いたって意味ない。こんなとこいくらでも変わってくるし、細かいところは多少ズレていてもいい。」
 

 これ前にも言われたのにまたやってしまった・・。先生にも何度言っても懲りないやつと思われているんじゃないか?というか、最初の段階で細部より全体を優先することなど万物の初歩の初歩。それができていないということは、今までの人生の中でいかに努力をしてこなかったかということだ。でも、全体を見てもよくわからないんだ。

頭部がおかしいと思っていても、実は首から下が小さいだけかもしれない。常に比較を繰り返していかきゃいけない。その時に基準となるのはここ(画面の中心軸の一番上と一番下)。最終的にはここに戻ってくる。ここが一番の基準だから。」 

 そこはさすがに合っていると思うんだが。とりあえず今言われたことを整理して実行するより他ありません。しかし、やっぱりどこを計測しても違いがわからないんです。中心軸は合っているし、アゴも合っている。あれこれ考えて、時が過ぎ去り、ようやく発見したのが、そもそも一番の基準となっていた画面の一番てっぺんと一番下の部分が紙ギリギリに描かれていないということでした。どういうことか説明しますと、Dスケールで見た時は、見本に習って画面ギリギリに基準を設定して他の部分の比率も合わせていったのですが、実際は画面よりちょっと離れていました。本当にちょっとだったので、これぐらい影響ないだろうと思っていましたが、改めてDスケールでちょっと離して見てみると、画面全体の比率が変わってしまいました。なんで一番最初に設定した中心がズレてんねん。死ぬか?
 でもそれを直しても、やっぱり変わらないんです。バイアスがかかりすぎていてもはや盲目と変わらない。この地点で集中力はゼロです。完全に脱力しています。

 「色も形ってどういうこと??」
 「わからん(笑)」


 部屋では色についての話題が飛び交っていましたが、色つける段階までいっていない私は完全に蚊帳の外でした。会話に入るでもなく、無視して作業するでもなく、遠目から見つめる状態。別にいいし。俺は俺。自分は形をもっと追究していかなきゃいけないと思ったからそうしてるだけで、人に合わせる必要なんてない。むしろ自分のやりたい事を曲げて人に合わる人が幸せになれるなんて思わんね。

 そうは言っても戦意を失っている状態。ピンチに陥っている時こそ、負けてたまるかと奮起できる人もいますが、私の場合壁にぶつかると思考が停止してしまうんです。最も考えなきゃいけないところで逆に考えられない。緊急時に使えぬ男。なるほど。そりゃ正社員にもなれんわな。俺が雇う側でもそんな奴いらんわ。

この前までできていたと思っていたことができない。正解にたどり着いたと思ったら泥沼だった。押し寄せてくる劣等感の波。とても素晴らしいことだと思っていたことで嫌な目を見た。こうなると今度はマイナス思考の無限地獄

 いつもは最後まで残って一緒の部屋の人と話しながら帰ったりしますが、どうせ色の話題についていけないだろうということと、一人になりたかったのとでさっさと退場しました。

 いいし別に。どうせ俺嫌われてるのわかってるし。中学校から大学生まで一貫して嫌われとった人間が急に好かれるわけないんや。下手糞なくせに口先三寸。そんな奴ウザがられない方がおかしいんや。もう一生黙っとくわ


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石膏デッサン23日目~デッサンをぶっ壊すという描き方~

 今日はまた修正の日だったのですが、いつもの退化している感とは違い、階段を一段上がれたような気がしました。それはなぜなのか?ということをメインに書いていきます。

 まず昨日顔が風船みたいに膨らんでいると書きましたが、Dスケール(デッサンスケール)で計ってみたところ、やはり実際の石膏像より顔が横に広く、縦に短くなっていました。顔全体の比率を変えるということは、全体的に大幅な描き直しが必要となるため、それはもう大変な作業です。しかも、石膏像全体を決める比率の基準にしているアゴの位置までおかしかったので、もうこれは一から描き直すつもりで挑まなければなりません。

 しかし、そっと目を閉じれば、聞こえてくる先生の声。

「失敗しても所詮280円の紙一枚だ」

 そうだ。失敗してもいいんだ。今はまだ基礎を学んでいる最中なんだから、むしろ試行錯誤を止めてしまう事の方が失敗なんじゃないか?俺は、攻めの姿勢を忘れない。人間守りに入ったら終わりさ!それに今描いているやつだって、後生大事にするほどうまくいっていないだろう?紙真っ黒になるまで描き直そうぜ!

 ということで、今日の主題は「苦労して描いたデッサンをぶっ壊せ!」です。もう今描いている絵の原型もとどめないぐらいぶっ壊す勢いで、その絵に場違いな線でもどんどん引いていかない限り、いい方向に進むことなんてありえないんです。細かい箇所を修正していくだけではだめです。こうでもしない限り何も変わらないんです。

 ということでズレの原因がわかったら、明らかに不自然な線でも画面上にどんどん描いていきます。細かい計測は必要ありません。しかし、勘頼みでもいけません。ほどよいところで大まかな計測を行い比較しつつ、また勘も働かせつつ描いていきます。ですが、この方法は緻密な計測を繰り返すよりずっと楽で、なおかつ的確なので作業が凄くはかどるんです。まさに開放された気分ですね。この喜びは、決して酒・タバコ・ドラッグ・キャバクラ・風俗・ギャンブルなんかでは味わえない境地です。
そして↓

20120222 agr 昨日

 ↓

20120223 agr 1 今日

 うん、よくも悪くもだいぶ変わりましたね。目や口などの顔のパーツは変ですが、これは後から直していけばいいので、今はまだ変なままでいいんです。途中で顔のパーツを直そうとしてまた無限地獄に陥りそうになりましたが、昨日の反省ができていたため、しっかり立ち止まって、一端置いといて後で作業するという選択肢をとることができました。逃げたらアカンのちゃうん?と思うかもしれませんが、何回も描き直しを重ねると、脳内補正がかかりまくるので、もう正しい視点でその部分を見れなくなってしまうんです。スランプに陥ったときというのは、やはり視野が狭くなっていることに原因の一因があるのだと思っています。ですから、そういう場合は一端離れる、「暫くやらない」という選択肢をとっていくことが大事だと考えています。

 これは10代で気づくべきことですが、死ぬ前に知れてよかったです。例え人生のやり直しがきかない歳になってしまっても、反省はできます。死ぬ前に人として成熟すること、人間として大切なこと、必要なことを知るそれこそがこんなふざけた人生への反省になると思うし、そうすることで自分の過去の誤ちを「償う」ことができるんじゃないかと思うのです。このブログのタイトルにはそういう願いが込められているのです。そして、現在社会から脱落してしまって人生諦めている方に、こういった救いもあるということを一人でも多くの方にわかってもらいたくてこのブログを掲載しているのです。そうでない方も、こんな人もいるんだな。ということがわかってもらえれば、それは凄く嬉しいことです。

 話は変わりまして、先生に「首をもっとしっかり描いてください」と言われました。どういうことかというと、輪郭が曖昧すぎるということです。まだ描きかけだから・・と思ったのですが、よく考えてみればこの段階で輪郭がはっきり描けていないのがおかしいのです。やはり、前回言われたことで反省できていない部分もありました。ブログを描き溜めていくと段々情報量が多くなってきて全ての反省点を拾えなくなってきてしまうという悲しい事情もあるのですが、気合で乗り切れ。

 それと、石膏像を描く位置が悪いと言われてしまいました。うすうす感じていたことではあったのですが。これは位置が悪いから描けなくてもしょうがないということではなく、その位置だと石膏像が石膏像っぽくなくなるので推奨されないということです。位置決めも描く作業の重要な一部ですので、やはり描き方の悪さにカテゴライズされます。

 では何がいけないのかというと、白い部分(光が当たっている部分)が多すぎるということです。光と影の割合は五分五分以上が推奨されるそうで、影の部分を描くことで立体感を出せることが理由になります。それが、今いる位置は白い部分8割:影2割になっていますので、うまく浮き出させることが難しいんです。でも幸いにも被害は少ないです。なぜなら、今週の主題は「形をうまく捉えるにはどうしたらよいか」ですので、色づけは来週でもいいんです。というか、今失敗しといてよかったです。

 とりあえず今やらなきゃいけない作業は、背景(空間)が白で石膏像の光が当たっているところも白にしてしまうと、顔の白い部分まで空間になってしまって立体感が出ないので、白い部分をグレーに、グレーの部分を黒に、黒いところを凄く黒くすることで解決します。どの石膏像描いても同じことが言えますが。白い部分に色つけしたら実際と違うと思うかもしれませんが、石膏デッサンにおける色はコントラスト(対比)ですので、比率さえしっかり合っていれば、色つけしたところも白く見えます。うまくいけばの話ですが。また色づけが難しいので、次の課題になると思います。

 最後になりますが、今回のように自分なりに納得できる答えに近づけたのは、文章で書くことによって自分の中での考えを整理して言語化できたからだと思います。それをするのとしないのとでは天と地ほどの差があります。何か辛いことがあった時やうまくいかないことがあった時などは、文章にまとめてみることをおすすめします。


 20120223 agr 2

20120221 agr sekko

 まだまだ未熟ですし、修正すべき点もたくさんありますので、気合入れていきたいと思います。

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石膏デッサン22日目 ~進まない作業~

 今日の朝はトラブルから始まりました。ご存知の方も多いと思いますが、梅田の火災で電車が止まり、朝一で行けなくなってしまいました。ただでさえ作業に遅れが出ているのに、今日一日潰れたらマジふざけんなという感じでした。中津まで行けたのでそこから別の電車に乗りましたが、結局1時間遅れで到着になりました。しかしみんなもう来ていて、遅れたのは私だけ。みんなどうやって来たん?

 それはいいとして、今日の出来事は前半と後半に分けて書きたいと思います。後半がメインになります。

 前半では、一つ気づいたことがありましたのでそのことについての話になります。
 自分の絵をどれだけ睨めっこしても悪いところがわからない場合ってよくあることなんです。脳内で補正がかかりまくっているからです。しかし、人の絵ならどこがズレているかよくわかるのではないだろうか。そう思って、計測を重ねてもうまくいかないと呟いていた方のをアドバイスしてみることにしました。人のものについてあれこれ言うのは本来なら多大なおせっかいですので今まで極力避けてきましたが、その方は前からどんな人のアドバイスでも欲しいという感じはありましたので、今回は特例です。それと周りのうまい人が全員いなくなっていたのも確認済みです。なぜならば、お前下手くそなくせに何調子のっちゃってんの?って思われるじゃないですか。ですから、人が少ない時を見計らわなければいけません。もちろん、おせっかいかもしれませんが一度拝見してみてもいいですかと念押しはしてあります。しかし、断ることがほぼ不可能ですので事実上の強制にはなってしまいますが、嫌なやつに思われてもいいから真実を知りたいという思いがありました。幸いにもその方は快い返事をくださいました。それぐらい人についてああだこうだ言うのは慎重にしなければならないのです。なのに、人の心に土足で踏み込む人の多いこと彼らは自分がまるで正義であるかのような態度で説教垂れます。本当に公害以外の何者でもありません。まあ今回自分の絵と他人の絵を見る目がどれほど違うか確認したかった動機もありますが、わざわざ口に出さなくてもよかったかもしれません。それを口に出したのはもし役に立ててもらえたらいいかなと思ったからで、その地点で私は私が大嫌いな説教マンと同族になってしまいました。マジ自己嫌悪。

 でも真剣に見てみると、どこが違うかすぐわかりました自分の絵を見る目と他人の絵を見るのは全く違う視点であるということが判明しました。

 すぐ見つかった点は、口が出ていて、アゴが引けているところでした。通常アジア人の顔はアゴが下がり、口が出て、鼻は低く、目は出ています。それに対し、西洋人はアゴが出て、口は下がり、鼻は高く、目は窪み、眼球の上の骨は出ます。アジア系の顔と白人系の顔は真逆なのです。それを知っていたので、すぐ気がつきました。

 しかし、その後あることに気がつきました。今ままで下手なりにも自分で納得できるものが描けていたと思っていたのは、もしかしたら予備知識があったからかもしれません。似顔絵はわざと極端に描いたり、デフォルメしたりして描きますが、かなり似ていますよね。それは特徴がよくとらえられているからです。私も同じで、よく見たらズレている箇所は星の数ほどある。しかし、特徴はおさえられていたのではないでしょうか。私は初めて石膏デッサンをした時、特徴のある石膏像を意図的に選んで描きました。アグリッパは彫りが深くて、眼球の上の骨がやたら出ているので、目に影が思いっきりつきます。そして鼻がでかい。アゴも出ている。この3点を中心に描いていたのです。東洋人と西洋人の骨格の違いを知ったのは途中からですが、西洋人は鼻が高いというのは通説ですし、あとアゴと目をおさえればだいたい西洋人っぽい顔にはなります。それプラス骨格の知識もつけて、画展がいった感じです。

 ですから、この拝見させて頂いた方も決して下手というわけではないんです。ただ、石膏デッサンを始めて間もないですので、まだ顔に対する先入観があったのかもしれません。普段私たちは日本人として暮らしていますので、人間の顔=アジア系の顔と結びつけて考えがちですが、私の場合は白人って格が違うよなあ、何でだろうなあと普段から思っていたので、石膏像の顔の特徴にピンときやすかったのかもしれません(石膏像は全員西洋人の顔です。ブルータスとかビーナスとか)。ですので、才能があったわけではなく、運がよかっただけの可能性もありますね。

 とりあえず、人の絵を見ると自分のためになるということがわかりました。でもじっくりは見れませんけれども。その方が本当に知りたかった点はおそらく別にありましたが、何度も見るのはさすがに気が引けました。

 後半は自分のことについてです。このブログは一人の人間の成長期を書くつもりですので、基本的には美術に関することで、なおかつ自分のことしか書きません。

 先生に教わったところ、やはりはかり棒による計測はアバウトよくて、またアバウトでしか計りようがないそうです。そして、計るということ自体他の部分との比較なのです。
 具体的にどんな感じでやるかというと、例えば、まず画面(石膏像)の一番上と一番下を決めます。アゴは画面の半分よりちょっと下、鼻は画面の一番上からアゴまでの半分よりちょっと下、というように、比較を連鎖させていきます。アバウトですので当然ズレが発生しますが、それは避けられません。しかし当たりをつけて実際描かないと描きようがありませんので、描いてからいろんなところからの比率を計って修正していくのです。

 でもよかった。パズルの最後のピースがはまったような気がしました。実は、一番最初の説明でも言われていたことでしたが、実際に石膏デッサンというものに向き合ってみないと、その本当の意味はわかりませんでした。何かを経験するということは、そういうことなんですね。今までみたいに勝手に脳内芸術家していただけなら決してわからなかった境地です。結局自分が一番最初にやったやり方であっていたことになりますが、後悔はしていません。いろんなやり方でやってみないと、本当に大事なやり方がどれかが見えてこないからです。もしかしたらもっといい方法があるんじゃないか。そんな不安を抱えながら描きたくないです。

 さ、それがわかったらやりまくるぞ!

 20120222 agr

 20120221 agr sekko 

 顔が風船みたいに膨らんでしまっています散々ゴタク述べた挙句、写真とって冷静に見てみるとやっぱり下手ですね。でした。

 結局全然進まんかった・・。久しぶりに無限地獄にはまりました。直していくうちにどんどん顔が崩れていって、さらに直そうとあがいて余計変になっていく。まさにお直しの泥沼。油断しているとこうなります。途中でいったん立ち止まって考える癖をつけないと、いつまでたっても進歩がありません。

同じ部屋の方に、

「3日で一枚仕上げるって言ってなかった?」
「え?そうでしたっけ。ハハッ・・」   


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石膏デッサン21日目 ~失敗やった・・~

 いつもは勘重視で描いていましたが、このままじゃいけないということで論理的に描くということを今日はしてみました。前半は言葉だけでは説明しづらいことを書きますので、読み飛ばしていった方がいいと思います。

 まずはかり棒でもっと正確に計っていくにはどうしたらいいんだろう?ということでいろいろ工夫してみました。

 まず頭のてっぺんからアゴまでを計り、練り消しをつけて目印にします。次に、アゴから一番下までを計り、また練り消しをくっつけます。頭のてっぺんからアゴまでと、アゴから一番下までの距離の差を正確に求めます。
 これをどう使うか?なのですが、一つ目はこうします。視界と練り消しを画面に合せます。かなり説明しづらいので、画像を見てください。
 
 20120221 hakari1

↑このように比率を合わせます。アゴ基準ではありませんが、アゴでも同じことをしました。

 二つ目はさっき練り消しをつけた棒にDスケール(デッサンスケール)のメモリを合せ、差が何分の何かを求めます。このメモリの使い方は、定規を使っているようなものですので、若干チート気味です。ですが、とりあえず今日はいろんなことを試す日ですので、反則技っぽいことも使っていきます。もちろん誤差もありますから、一つ目の方法と二つ目の方法を併用します。

 Dスケールを使わないで画面の余白を求める方法も考えました。画用紙の縦と横の比率を求め、はかり棒を横にして石膏像のだいたいの余白を求めました。これもわかりづらいですね。

 それを全部やって、最後にもう一度Dスケールで検算をしたら完璧です。最初からDスケールに頼りすぎるのはいけませんが、答え合せならむしろプラスになります。

 そしてできた基準がこれ↓ 

 20120221 shitagaki

 これだけで1時間30分かかっています。さすがに時間かかりすぎなのと、めんどくさくなってきたのであとはアバウトに描いていきました。でも、ここまで基準をしっかり設定すると、あとはアバウトでも大丈夫です。

 20120221 shitagaki2

 うん、だいたい設計図は完成しました。あとはもう速攻で描きまくれます。

 そこへ先生がやってきました。今はまだ下描きだからまだ何とも言えないが、今回は完璧だぜ。しかし、衝撃の一言を。

「アゴが少しズレてますね。もうちょい上でしょ?頭が大きくなっていますよ。」
え?アゴが全ての基準なんだけど。目も鼻も胴体もアゴからどれぐらいの距離という計り方をしています。ということは、全てが間違っているということです。完全にオワタ\(^o^)/

 ここですかさず昨日から用意していた質問をすることに。

 Q計るとズレて、フリーハンドでなんとなく描いていったらそれっぽくなるのですが、フリーハンドで描いていったら伸び率悪いですか?
 Aそういう人もいますよ。最初から形とっていく人も。ある程度そうやってもいいですが、計測した方が確実ですよ。

 Qどっちでやった方がいいですか?
 A両方やってみたらいいと思いますよ。

 Q中心線をいっぱい描いていくやり方があるのですが、あれはどうやるんですか?(石膏デッサン20日目参照)
 Aそれはただ距離を計っているだけでしょう。

 QDスケール最初から使うと、成長ストップしてしまいますか。
 Aそんなことはないです。

 まあ質問連打しておおよその疑問はなくなったわけですが、ズレまくった作品だけが残りました
木炭紙をカルトンからはずし、考えているふりして呆然としていました。あれだけ計りに時間を費やしたのになぜズレた・・。今日ほど計測に時間を費やした日はなかったが、一番最初の中心戦がズレるなんてことは今までなかった。それどころか、画面の中心にも石膏像が収まっていない。なんということだ・・ もうやることは一択しかないでしょう。

 ______
|←画材店|
 ̄|| ̄ ̄       ┗(^o^ )┓     三
  ||            ┏┗ ⑩      三
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
______
|←画材店|               木炭紙  
 ̄|| ̄ ̄    三      ┏( ^o^)┛
  ||       三         ┛┓
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 しかし、今描いているものをやめないほうがいいというアドバイスを同じ部屋の方から受けました。その方はうまくて知識も豊富で、デッサンマスター的な感じです。
「いやあ、もうアゴがズレてたら終わりじゃないですか。」
「いや、直せるでしょ」
そうなんかあ。ということで、描き描けの木炭紙をカルトンにセット。いろいろアドバイスをしてもらいました。ありがたや。

 まず、計るということは他の場所と比べてどれぐらい差があるかということ。その差は、だいたいが分かったらいい。ここはここに対して何分の何という比率とかそういうのですか?いや、何分の何てそんなのわからないです。確かにそうだ。その方はおおよそで計測して描いていっているそうです。ズレたらその時に計って直したらいいんですか?描いてからじゃないとわからないでしょう。他の部分との比較だから、何にも描いていない紙に正確なものを描くのは不可能です。

 なんだ。今までのであっていたのか。でも計測は正確にやらなくてはならないものかと思っていました。それもアバウトでいいのか・・。なんかはかり棒が信用できなくなりそうですが、最初から100%信用できるものなんかなかったのかもしれませんね。そんなものがあれば誰でも描けるはずですし。まあいろんなことやってみて失敗するのも経験だからこれでいいんだ。さ、修正修正。↓

20120221 syuusei1
 
   ↓

20120221 syuusei2

   ↓

20120221 syuusei3

20120221 agr sekko


 一応修正途中ですが、これはアグリッパの顔になっていないですね。顔が殴られたみたいになっていますし。曇ってて窓から入ってくる光が弱かったので見えにくかったのも微妙に困りました。というか、変に描いた跡がついてしまっている分、真っ白な紙に描くより修正しづらいです。見たもののイメージがうまく反映できないというか、イメージしづらいというか。もう新しいのに描き直したい・・。

 明日はどこまで修正できたかを報告したいと思います。まあうまくいかなかったら描き直します。
 

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石膏デッサン20日目 ~究極の選択:勘と理のどちらを優先させるか~

 先週は遠くてよく見えないものをいかに描くかという戦いでした。そんな一週間も無事(?)終わり、今週こそは一番いい席を取るとるぞ!と希望の詰まった朝。

 しかしまた遅刻。今日の朝に限って凄く寝覚めが悪く、7時40分に起きてしまいました。それでも普通に準備すれば間に合うのですが、兄に風呂も洗面台も全部使われていてずっと待機状態でした。まあどの時間帯に起きても誰かしら設備を使っていますので、計算に入れなかった私の責任です。急いで行きましたが、この位置と決めていたところは埋まっていました。どの位置から描こうか迷いに迷った挙句、また遠いところ・・。しかも、席決めに2時間以上費やしています。結局何が起ころうがこうなるんですね。悲しいけど、これが私なんです。治そうと思っているだけじゃいけません。根性論ではなく、論理的な解決策を探っていかなければなりません。願っているだけじゃこれと同じです↓

 夢の半周 ←これの1:13から

 さて今日のメインです。一応下書きはしたものの、新しく描き直そうかと思いました。その理由は、ホンマにこれでええのんか?と思ったからです。
 今までもほとんど勘で描いてそのまま形作ってしまっているので、論理的に描いていないんですね。どういうことかと言いますと、うまい人のを見ると、線をいろんな方向から引いて設計図を作っていき、進めていくとそれが浮き出てくるかのように形になっていくという感じです。↓

 20120220 kakikata mihon
↑こんな感じです。

 しかし、私の場合行き当たりばったりでアウトラインを作っていくので、今はよくても将来的に伸びないのではないかと考えました。不便を感じた時が問題なのではありません。うまくいっていても問題がある時はあるんです。むしろ、うまくいっているように見えるからこそ問題点が見えにくい。満洲とかつくって景気がよくなったから支持された戦前の陸軍状態。
 というか、今までなぜ枠にちゃんと収まったのかと言いますと、Dスケールを使っていたからです。Dスケールを使うと、画面上のどこに石膏像を収めていいか一目瞭然なんです。やる前に答え知ってしまっているのと同じですので、チートです。何で使ったらあかんねん。と思うかもしれませんが、見たものをそのまま紙に描くということができなくなってしまうのではないかと考えています。まあそうは言ってもDスケール無しでどうやって比率確認したらええねんと思うところもありますが。慣れてきたらDスケール無しで描くという見解もあるか。いや、それは言い訳か?

 とりあえず見よう見まねでそれっぽいことをやってみましたが、どこにどう線を引けばいいのかわからない。おまけにはかり(ただの細い金属の棒)でいちいち計っていたら時間がなくてしょうがない。その理由としてははかりの信頼のなさが挙げられます。細い金属の棒でおおよその長さを計測するのですが、1回目で計った長さと2回目で計った長さが違うんです。3回目も違うし4回目も違う。一体どの比率が正しいのかわかりません。その理由については、このサイトでわかりやすい説明がされています。→「はかり棒のワナ」

 つまり、客観的・論理的であるはずの計り棒が信用できないということなのでしょうか。それなら最初から勘で描きたいですが。10回計って6・7回あっている比率をチョイスするのが高確率かもしれません。でも10回も計りたくないわ・・。1箇所につき5回計るとしても、10箇所だと合計50回になります。しかも1回計るのにも片目をつぶってじっくり見なければいけませんので、時間がかかりすぎますし、顔も引きつってきます。めんどくせー!
 実際どうなんでしょう?そのめんどくさい作業を根気よくやるのが正解なのか、程よい時間のかけ方で勘も頼るか。先生は計測の繰り返しだとおっしゃっていたので、前者が正しいような気がします。

 しかし短期的な視点ですと、私の場合は計測しまくってもあまりいい結果は得られず、むしろ勘でどんどん進めていった方が仕上がりはよくなるような気がします。計測のし方がまずいんでしょうか?
 しかし勘を頼りにするか理を頼りにするかの選択はある意味で究極の選択です。人間の持つ本能的な能力を信じるか、人間だけが持つ理知を駆使するか。一見論理的に出した答えが正解のように思えますが、めまぐるしく変化するこの世でその物事1つ1つをよく吟味していられません。将棋の羽生名人も「決断力」という著書の中で、直感の7割は正しいと言っておられます。

「直感力は、それまでにいろいろ経験し、培ってきたことが脳の無意識の領域に詰まっており、それが浮かび上がってくるものだ。まったく偶然に、何もないところからパッと思い浮かぶものではない。」

 しかし、私の場合経験がほとんどない。それだけでなく、今までの人生のほとんどを夢遊病者のように生きてきたので、全てのことで勘が働かないんです。それどころか、その時は気づかないのですが、導き出す答えがキチ○イじみています。誰が聞いてもおかしいと思えることにおかしいと思えない。今美術教室通っているのも、もしかしたらおかしい選択なのではないかと思うと怖くなります。一応筋は通していますが。自分の不得意なことで無理やり勝負をかけようとしても、ごく普通の人が何の苦労も無しに追い越してしまう。そうしてどんどん端に追いやられるよりも、好きなこと、得意なことを伸ばしたい。そういう思いも一部ではあるんです。

 話はそれましたが、これだけ理論武装して計測から逃げるのには、肝心のはかり棒の使い方が実はよくわかっていないという理由があるんです。ここはアレの3分の2・6ぐらい。だからなんやねん。まだきっかり3分の2とかで割り切れたら使えるのですが、それ+0.6とかなってくるともうどうにもならない感があります。しかも練り消しくっつけたりしてやっと完成したメモリが、もう一回計測してみたら違っていたということもあり、さらに違っているという事実が違っていて、本当はあっているというパターンもあり、もう何が何だかわからなくなってくる。
 それに対し、私の場合フリーハンドを重視した方が苦労も少なくてすむ。。そうなると、もうフリーハンドに流れてしまうわけです。まあ自称ですから実際は下手なんですが。それでもできると言い張るのは、本当にできなかったら何が起きているのかもよくわからないからです。直すべきところも、どうしたらいいかも、何もかもが闇の中。できていないという結果だけが残り、いたずらに時間だけが過ぎていく・・そういう状態を幾度となく経験していきた中で、石膏デッサンはそうならなかった珍しい例ですので、まだ自分の中ではできる方だろうと思うのです。ただそれでやると、今度人に教えることができなくなってしまいます。勘ではなかなか描けない人にフリーハンドで描けなんて言えませんからね。きっと論理的な描き方で解決できる方法はどこかにあると思います勘と理の両方で描けるようになるのが理想でしょうか。ならば、勘も理も両方突き詰めていかなければなりませんね。これは今日完結にメモして明日先生に聞きます。

 結論的に言いますと、明日は描き直す方向でいきます。今日中に「人を描くのって楽しいね」を見て描き方を覚えます。絶対無理ですね。う~ん・・。


 ちなみに今日の結果・・↓

20120220 agr sekko

20120220 agr

今日もよく寝たね!エラい!なんか先週早描きするとか言ってなかった?

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石膏デッサン18日目 ~謎のお面野郎を描く 後編~

 今日の朝うまい人に色の描き方を聞きました。その方は色が凄くて、木炭デッサンなのにまるで七色の光を放つような綺麗さなんです。その方は擦るといいとおっしゃっていました。確か擦ったらダメと先生も言っていたし、友達も言っていたような。でも、そういう技法もあるんですね。うまくなるまでは禁じ手ということでしょうか。結局どちらが正解なのかは今の地点ではわかりませんが暫く擦らないで描いてみてある程度うまくなったら試してみようかなと思います。 

 とりあえず昨日写真で見て修正点を予習してきましたので、そこを修正することからスタート。口の傾きを直し、鼻を横に広げ、アゴの面積を増やし。というか画面全体が傾いている。これは結構手こずりました。iphoneで撮った写真と比較すると傾いていたのですが、木炭紙を見ても傾いているようには見えない・・。これも脳内補正でしょうね。仕方ないので「今描いているものは傾いているんだ」と自分に言い聞かせて納得していないながらも修正していきました。自分でわかっていないのに無理やり修正しようとすると、やりすぎて逆に変になることが多いので本当はよくないのですが。今日中に仕上げなければいけませんので、あれこれ考えている暇はないんです。というか、今までパーツが傾くことはあっても画面全体が傾いたことはなかったのでこんな経験初めてです。イーゼルと椅子の位置が悪かったか、紙が真っ直ぐじゃないかしか。顔しかないものを描こうとしたからでしょうか。石膏像がそもそも傾いているということはなさそうですが。

 とりあえず午後になった段階での作業です。↓

 20120218 omen 1

 修正はできたはずなのですが、何にせよ完成から遠すぎる。あと3時間ぐらいで色まで全部つけなければなりません。手早く作業したら修正に1時間、色描き終わるのに2時間・・ってそんな都合良くいくか!私のやる作業はいつも見積もりよりだいぶ遅れてしまうのです。理由は簡単。時間を過小評価しているから。今回もそうです。

 こんなに時間がかかったのには理由があるんです。計測はしないで勘だけで微調整していったらえらい時間がかかりました。午前の終わりごろそれに気づきまして、感覚で微調整していくより計測してから修正していった方が断然早く作業できることに気づきました。いつもそうなんですね。手遅れになって初めて気づく考えないで作業していた結果です。何をするにも考えてやれといつも言ってんのに、なぜ考えてくれない! イーーーー!

 それはいいとして、先生来られました。私が言われたわけではありませんでしたが、興味深いことをおっしゃっていたのでメモしました。
「石膏デッサンは心の中にあるものを描くものであるので、主観が入ってもいい。」
え、そうなん!? 石膏デッサンは客観100%で描くものかと思っていました。各個人が客観的に描こうとして、でもできなかったからその結果個人差が出てしまう。そういうものかと思っていました。でも、個人個人によって特色が出てもいいものだそうです。しかし、やはりある程度は客観性がいるとおっしゃっていました。客観性と主観性のバランス。まあそりゃそうですよね。この話をメモしてたら、何メモしとったん?と言われ、しどろもどろしてしまいました。先生、別に悪口を書いていたわけではありませんよ・・。

 さて、ダメ出しですが、線が薄いと。調子を描きつつも、もっとしっかりとした線も描いていかなければならない。この話だけ聞くとそんなん当たり前やんと思うかもしれませんが、私にとっては想像以上の重みがある言葉です。なぜかと言おうと、線がいい加減すぎるのです。線が間違っているのが嫌だから、間違ってて当然と言い訳できる太めの線を幾重にもわたって引く。すると、どの線が本当の線だかわからないいつでも消せるように予防線をはっているので薄いんです
 これについては、本気でデッサンすることから逃げたということで反省しなければなりません。当然のことながら、ここもここも違うと指摘されました。

 それともう一つ。
「あなた何日来てるか知らないけど、3日なら3日の、4日なら4日の結果を残してもらわなきゃ」
一週間描いてもまだこんだけしか進んでないん?ということでしょうか。先生!まだ2日目なんです。・・とは言えませんでした。言い訳はいらんからとっとと仕上げよ!と心の中から聞こえてきた気がします。そうか。あと3時間足らずで完成させなければならないのか・・無理臭い!でも完成はしなくても、少しでも完成に近づけなければ!
 ということで、緻密な計測とか間違いの修正とか、綺麗な色のつけ方とか全部無視して一心不乱に描きまくりました。



オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ






20120218 omen 2





 オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ





はい!↓

20120218 omen 3

20120217 omen sekko


 ふう・・。なんとかここまでもってこれた。でもやっぱり鼻とか口とか残念なことになっていますね。目の方向も逆です。なんか劇画タッチになっているような気もしますが、まあ2日でこれなら頑張った方か。できるならあと2日ぐらいかけて完成させたかったですね。やはり強引に描きすぎて色が石膏デッサンとは思えないほど粗いです。いつかリベンジマッチしたいです。

 この経験でわかったことが一つ。早描きはやってやれんことはない。というか、今までトロトロしすぎていた。ジョギングと100メートル走ぐらいの差はあります。早く描こうとすると、その分あらぬ方向へ暴走するリスクもありますが、脳がフル回転するのでかえって集中できます焦らず基本を忠実に守りながら早描きすると、ゆっくり描いた時よりいい作品に仕上がるのではないかと思っています。というか、24歳で脳の中焼け野原というか、ほぼ無の空間ですので、今からいろんなこと学ぶのならゆっくりしている暇はありませんね。まだ始めたばっかりだからしょうがないと言い訳して自分の限界を自分で決めてしまっていたのかもしれません。

 それと石膏デッサンうまい人のもう一人に教えてもらいました。前回右から光が当たっているという設定になっているので、壁や隣の石膏像からの反射はないのが前提で描いてくださいと言われたと書きましたが、反射も描いていいそうです。そうでないと、立体感が出せないのでそうするしかないと。廊下に飾ってある見本にも反射が描かれてありました。この方が言うんだから間違いない。この方は同じお面を別の角度から描いていたんですが、マジで神がかっていました。私が描いたのだと強欲な壺みたいになっていますが、その方のはちゃんとお面っぽくなっていまして、色もうまくてすごく似ている・・。3月の試験で確実に上のクラスに上がるものと思われます。

 では、来週も頑張るぞ。何を?あ、そうだ。何を描くか決めておかなければいけませんね。アグリッパ厨ですが、リベンジマッチとしてまたビーナス描いてもいいかもしれません。お面また描いてもいいかもしれません。ちなみに隣の部屋で同じものを描いている方のを見せてもらいましたが、100倍うまかったですね。まあ仕方ないさ。その人は、うまいんだ。でも俺はうまくないんだ。それはそれでしょうがない。全力を出して、自分で納得のいくものができればそれでいいんだ
 

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石膏デッサン17日目 ~謎のお面野郎を描く 前編~

  
 今日は予定通り例の顔だけのやつを描きました。その作業内容を書きます。

 基本的に石膏像は胴体と頭のセットでできていますので、何となく形は掴みやすいと思います。しかし、顔だけドアップで描くと比率がようわからん・・。普通の石膏像ですとアゴなどを基準として、そこを基準に目などの位置を設定できるのですが、このお面は顔しかないから基準となるものが鼻ぐらいしかありません。それでどうしたかというと、一番上と一番下の部分、鼻以外は勘で描きました。気持ちはわからんでもないが、石膏デッサンを勘でやったらあかん。でも2日で仕上げなければならず、焦っていたのもあって、論理より勘を優先させてしまいました。これどうやって描いたらいいんでしょうね。

 20120217 omen sekko 2
 
 しかしいろいろ文句タレはいますが、選んだ自分が一番悪い

 顔の描き方の本とかいろいろ売っているので、それで訓練するのもいい手なのではないかと思っています。実は美術教室に入る前に練習する予定でしたが、家では一切何もやりませんでした。私はそういう人間なんです。共感できる人にとっては凄く共感できると思いますし、共感できない人にとっては全く共感できないでしょう。ただ一つ言えることは、かなりの後悔の念にさられました。あの時やっていたら・・!しかし、やっていないんだから仕方がない。ということで、とりあえず描いていきました。

 大きさなんですが、石膏デッサンというものは基本的に画面いっぱいに描くものなんです。模範のデッサンが廊下に飾ってありますが、上も下もほとんど余白は残っていないものが多いです。画面いっぱいに描くことによって、石膏像が持つ迫力を出すのです。しかし、顔だけを木炭紙いっぱいに描くのはどうなんでしょうか。ということで、少し「凄み」を減らすために少し小さめに描くことにしました。しかし、先生がやってきて

「もっと画面いっぱいに描いてください」
先生、顔のドアップだけを画面いっぱいに描いたら気持ち悪くないですか?
気持ち悪くないです。そんなこと言ったら描いている人のみんな気持ち悪くなってしまいますよw」

 そうやったんか。読み違えた・・。これを直すのは大変そうだな。まあまだ初期だからどうとでもなるだろう。

 それと、パーツを比較して比率を合わせていってくださいと言われました。やっぱり勘に頼りすぎた弊害が出てきているんでしょうか。ただ、勘で描くのにもメリットがありまして、大まかに描いてしまえばある程度は形になりますので、そこから正しく修正できさえすればあまり苦労しないでもスっとそれなりの作品が仕上がったりしますアバウトに描いていって完成作品までアバウトなものになってしまうリスクもありますが。実はどの程度計測して、どの程度勘で描くかまだよくわかっていません。

それと、部屋で一緒に描いている方の一人が、
「先生、最初アレ(お面)から描いた方がいいんでしょうか?」という質問をしました。
「いや、あれは難しいですよ。一番描きにくいんじゃないでしょうかね。」

「でもあなた(私)まだ木炭使い慣れてないでしょ?木炭使いとしてはいい練習になりますよ。ですからこれ選んで正解です。」
 おお、正解やったんか。よかった。しかし木炭使いとしてはいい練習とはわかりそうでよくわからない。木炭を使いこなす練習ならどれ描いてもよさそうですが、いろんなものを描いたら練習になるということでしょうか。とりあえず先生合っているとおっしゃるなら安心です。

 しかし描いていて気づいたのですが、気を抜いてもいいところと悪いところがありますね。気を抜くとは集中しないことではなく、肩の力を抜いて自分の思うように木炭を走らせるということです。それとは対照的に、一点集中しなければならないところもあります。それは計測したり、基準を描くところですね。

 時は午後になり、先生が来たので質問しました。
「角刈りみたいになるんですけど・・」
なんか無脳症っぽくなるんですよね。顔の上が額と髪の毛の一部ではなく、潰れた頭に見えてしまう。すると、
今の地点で判断はできない。ある程度描いてみないと判断できないところもあるから。」
なるほど。
「ちょっと慎重になりすぎている。もうどんどん描いていって、間違えたらそれでいい。たかが木炭紙1枚だと思えばそんな慎重になることもない。」ん~。あれこれ心配していないでどんどん描き進めていった方がいいということですね。
それとこんなことも。
石膏デッサンは大胆さと繊細さの両面を持ち合わせているものだから。」
「それって描いているうちに自然に身についていくものなんですか。」
「まあある程度意識しないと。」
あ。意識して描くということをしていないような気が。うお~!ちょっとウッと来ましたね。別にクるようなことは何一つ言われていないんですけど、最近考えて描くという行為を怠っているような気がして、それで後悔の念にかられたわけです。
 
 それとデッサンは客観的な目を養うためのものとおっしゃっていました。デッサンとは、客観的にモノを見ることであると。絵は主観で描くのではないか。しかし、主観で描いた絵も、他の人が見てどう思うかを考えられるようにならなければならないと聞いて、ああ、そうだなと思いました。客観的な考えができるようになるというのは絵に限った話ではなく、他の全てに同じことが言えるのだと。子供に絵画教室に行かせると客観的な思考ができる人間に育ちそうですね。よく塾行って勉強する以外のことは無意味という人がいますが、習い事はそういう人間としての基礎を作る機会でもあったのです。逆に、エリートになりなさいと言われて勉強ばっかしてきたが、大学受験を終えたり一流企業に入ったところで人生の目標を見失ったり、パチンコの魔力にとりつかれて地に落ちていく話もよく聞きます。

そして、作業結果です。↓


20120217 omen

20120217 omen sekko

 これはどうでしょう。鼻が細いのと、口が傾いているのと、アゴの底面性が狭いのと、直すべき点はいっぱいありますが、ワンチャンあるかもしれません。前回のビーナスよりましですね。まあ明日1日しかありませんので、間違っていてもどんどん進めていきたいと思います。人間守りに入ったら終わりだぜ!


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石膏デッサン15日目・16日目 ~描けなかったビーナス~

 今回は昨日~今日にかけての作業について書きたいと思います。それから先書きたかったのですが、ほとんど精神病のことだけで埋まってしまったので、分割しました。

 15日の作業結果です↓

 20120215 vir
 
 どういうことなの・・。前回のアグリッパに比べると、全然だめですね。それには原因がありまして、遠くて見えないんです。言い訳っぽいですが、遠くて見えないんです。面と面の間の輪郭線がはっきりしないからようわからん。

 予想でだいたい描けるだろと思われるかもしれませんが、私のような初心者にそれはできません。というのも、「残像」が使えなくなるからです。残像ってなんぞや?と言いますと、3日間体験コースで来ていたおじいさんがこんなことを言っていました。

 目で見たものはほんの一瞬しか記憶に残らない。残像は目を離した次の瞬間もう消えているもの。だからよく見て、目線を少し移動させるだけですぐ描けるような位置にイーゼルや椅子をセットしなければならない。首を動かさなければ描けないような位置は論外。」

 このおじいさんの言っていたことは確かにそうでして、残像を意識して描いてみると仕上がりが全然違うんです。確か現役時代製図の仕事をやっていたとおっしゃっていたような。その方は本当に論理的に絵を描く方でして、基本にすごく忠実なんです。デッサンも当然うまかったですよ。うまく描けないと嘆く前に、自分はここまでしっかり考えただろうか。そういう思いがあって、日記を書いたりして一日の反省をしているわけです。それでも大事なことは根こそぎ忘れててどうでもいいことで堂々巡りしていることの方が多いですけれども。

 その残像が使えなくなるんです。輪郭がぼやけているということは、当然記憶の中の輪郭もぼやけているということでして、そうすると何描いていいのかもわからくなります。目を細めると線がくっきり見えたりもしますが、紙に目を移したときに残像が消えているというか、ピントが変わると消えてしまうというか。

 しかも、本当はカーブしている線をまっすぐに描いてしまったりもします。実際はカーブしていても、真っ直ぐだと思い込んでしまうといくら見ても真っ直ぐにしか見えないのです。しかし、カーブしているんだと認識することで、改めて石膏像を見てみると視界が晴れたように正しい物の見方ができるようになっていたりします。その認識がなかなかできない。

 正しく像が見れないと思うと、本来よりより集中しなきゃいけないのですが、気がついたら考え事していました。困難にぶつかるとそこから逃げる悪い癖ですね。別に遠くて線がわかりづらいのは問題じゃないんです。その結果うまく描けないのも問題じゃない。その状態でどうベストを尽くすのかが問題なんです。ベストを尽くそうとしなかったのは、見えないことよりよほど問題です。何ども自分に言い聞かせてもなかなか治らない悪い癖。でも、そこで自分の性格だからと言って諦めていてはいけないと思うのです。精神なんてなかなか変わるものではない。何度も改めようとして、でも治らなくても、それでも根気強く改めようとする。そうして少しずつ良い方向に向かっていくのが精神鍛錬だと思っています。

 とにかく全然ダメで、ここまでくるともう描き直した方がいいです。でも、この位置で描けるものはないです。どう転んでも、ポリゴン版アグリッパとポリゴン版ビーナスの2択になるんです。

 20120215 room2


 でも、遠かったら結局描けない。困ったなあ・・。まさか本当に1週間が無駄になってしまうなんて。くそ、ヤフオクなんてやらなきゃよかった。でもどっちか描くしかないんだよなあ・・。ん?アレは何だ?

20120215 room


不可思議な面がある・・。背景と一体化してて存在に気づかなかった。そうだ。確かこれ描いている人もいたな。最初アグリッパのドアップかと思ったんだが、そうじゃなくてこれだったんだ。見えるか見えないか極めて微妙な位置にあるけど、これもアリかもしれない。他の胴体がある像に比べて顔しかないから今からでも時間間に合うかもしれない

 そして夜悩んでブログを描きつつどれを描くか考えようとしましたが、リスパダール多めに飲んだら寝てしまいました。

次の日
 
 昨日あの名前のわからないお面みたいなの描こうと思っていたが、あれはあれで難しそう。それより、デッサンの本見て顔の輪郭の取り方をもうちょっと勉強した方がいいかもしれない。くそっ!昨日ちゃんと考えていたらこんな朝になってから決めなくてもいいのに。どっちだ。もう考えまくりました。大事なことは時間がなかったらカンで即決せよと書いてある本がたくさんありますが、私にはどうにも大事なことをカンで決めるなんていうことできません。そして悩む。悩む。ああ、もうまぶたが眠いよ・・ 気がついたら11時になっていました。もうええわ。いつかどっからかネコ型ロボットが派遣されてくるやろ。もう完全にドラえもん待ちになりました。ええ道具出してくれたら改心できるわ。


 何も考えずに美術教室行きましたが、そこで意外なことが。アレっ!?石膏像がよく見える。なぜ?ビーナスを描きたいという思いが募って目がよくなったのか。あるいは部屋が明るくなったのか。頭上に電気ついてました。ああ、この電気はつけても石膏像に影響ないって言ってたな・・。

それにしても見える見える。見えるからどんどん悪いとこ見つかる。朝一でここ来ればよかったぜ!でも今俺にできることは今を全力で生き抜くことだけ!あと3時間しかなけど仕上げたる! ↓

 20120216 vir

20120216 vir sekko

 残像とか関係なくてただお前が下手だっただけちゃうん?いやそれはちょっとちゃうねん。ある程度形が決まるとそれ以上修正きかへんのや。最初から見えとったらちゃんと描けとったんや!ホンマにそうか?本当に上手ならどうとでもできると思うけど。ぐぬぬ・・

 明日太陽みたいな面描きます・・。あと2日しかないですし、難しいかもしれませんが、いいっすわ。ちなみに、うまい人にアドバイスしてもらったところ、位置が良くないそうです。右からの窓の光だけ差しているという設定ですが、よく見ると廊下側にも窓がありまして、そっちからの光で複雑な反射をしているそうです。まあいいや、いい経験になったのさ。


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石膏デッサン 番外編 ~抗精神病薬についての駆け引き~

 基本的に毎日ブログ書くことを目標にしているのですが、昨日は早く寝てしまって書けませんでした。その理由はリスパダール増量。リスパダールとは、主に統合失調症の治療に使われる薬のことです。トーシツかどうかはよくわからん、でもまあそういう可能性もあるからとりあえず飲んどけやと言われているので現在服用しています。基本的に美術日記ですのでここは興味ない方は読まない方がいいと思いますが、自分の中で考えなきゃいけない問題でしたので、ちょっとメモもかねて考えていきたいと思います。なんや、また病気自慢か!こんなに悲劇な私カッコええやろって言いたいんやろ?そういうのもうええねん!っていう感じになるかもしれませんが、結論のみ大事なことが書いてあります。

 基本的に抗精神薬は一定の量を毎日飲まなければならないのですが、どんな薬にも作用と副作用があり、それを天秤にかけてみて総合的にメリットの方が大きいと判断された場合は服用が推奨されるということは知っておかなければなりません。ガン治療の例ですと、治る見込みがある場合、抗がん剤を飲んでくださいとか摘出手術しますと言われる場合が多いのではないかと思われます。ですが、末期ガン患者には治療よりむしろ「ケア」の方が重要だと考えられます。手短に言えば、どうせ治療しても無駄だから、治療して苦しむより治療しないで安らかに死を迎えましょうという考えですね。

 私の場合ですと、主に対人恐怖用対策でリスパダールを飲んでいるのですが、もう人間関係を築くのを諦めたので飲む理由がないんです。私の正確な診断は「統合失調症の可能性を含めて薬を調整」ですので、本当のところトーシツがどうかは医師にもわからりませんから本当に飲むべきかどうかも微妙なところです。
 
 統合失調症の人が絵を目指すとかすげー絵が描けそうと思われるかもしれませんが、私の場合は違います。統合失調症も陽性症状ですと幻聴・幻覚・妄想・支離滅裂な思考などの症状が表れ、そういう人が芸術作品を作ると普通の人には想像もできないようなすごいものが出来上がるかもしれませんルイス・ウェインの猫とか統合失調症の絵の代表ですが、危機迫るものがありますね。逆に陰性症状ですと、眠い・ダルい・食欲ない・気分が落ち込む・エネルギーがない・何に対しても興味がなくなる・意欲がなくなる・感情があまりなくなるなどして引きこもったり寝たきりみたいになったりします。ですので、傍から見ると怠けているようにしか見えないんです。お前それ甘えてるだけやろ。シャキッとせいシャキッとみたいな。ニート病的な感じですね。そういう人は何もしないので何も成し得ません。今まで普通に生活していた中学・高校生が急にだらしなくなったり勉強も部活もしなくなって引きこもっていったりするとこの病気になっていたという例は結構あるそうです。でも何にしろ病気っぽくないので、誰も気づかないんです。精神病のことなんて学校で習うわけではありませんし、むしろキ○ガイのことなんて知りとーないわ!という方が多数だと思われますので理解されづらいですし、自覚も困難です。そういう人が家を追い出されそうになって家族を殺害してしまうなんていう事件を見ると本当にいたたまれなくなりますね。というか、どうせなるなら陽性症状になりたかったです。気が触れてしまったみたいに見える分、病気と気づきやすいですし、いい作品作れそうですしね。

 それでもまあ治るなら飲んだ方がいいのですが、そうはいきません。私は寝たきり状態になっていたのと対人恐怖が狂気の瀬戸際まできていたのとで心療内科・精神科に4件ほど行きましたが、治せると言ったところはありませんでした。というか、そもそも心療内科・精神科は精神疾患を治すことを目的としておりません急性症状を抑え、自傷・他傷の恐れのないように精神を抑えるだけであって、病気そのものは長い年月をかけ、徐々に症状が軽くなってっていったらいいねという感じです。ですので、うつ病の薬を飲んだらうつ病が治るかというと、そんなことはないです。治療をしていても自殺する人はいますし、症状には波があり、いい日もあれば悪い日もあります。症状・副作用によって何もできなくなる自分と、このままじゃいけないと思う自分の板挟みになって、それが原因でより症状が悪化し、更に自己嫌悪に陥ったりという悪循環も乗り越えなければいけません。

 私の場合どの精神科行っても治らんから諦めんかいと言われましたので、もう飲まなくてもいいんです。平タガネ持って人を追いかけ回したり通行人を怒鳴り散らしたりすることもありましたが、それが起こらなければあとは何も変わらないです。

 しかし、薬によるいい面と悪い面は飲まない日と飲む日があればよくわかります。飲まない日は眠くならないんです。朝もスっと起きられ、活力も悪くはない程度に回復しますので、飲まない方がいいと思っていました。が、その変わり思考がいらん方向に次から次へと回り出し、余計な音楽も脳内にジャンジャンかけ、そのせいで何もしてないのに疲れるし集中できない。薬飲むと、夜ブログ書かないまま寝てしまい、常に集中していない状態がボーっと続きますが、精神はわりかし安定します。ですので、後者の方がいいと思い、薬を飲んでそのまま寝てしまったわけです。

 ではなぜ増量したのかですが、薬がききにくくなったからです。リスパダールは劇薬でして、飲み始めは1mm飲んだだけで自転車もこげなくなりました。何食べても味しません。1粒がインフルエンザ1回分に相当します。あれは一日12mmまでが上限ですが、12mmフルで処方されている人はそもそも目的が違います。起きてると危険すぎるのでずっと寝といてくれということですね。その変わり、対人恐怖もコントロールのきかない感情の起伏もほぼなくなり、まるで魔法の薬なんです。リスパダールに比べれば、タバコも酒もシンナーも麻薬もカス同然です。

 じゃあなぜそんないい薬を飲んだり飲まなかったりする日があるのかと言いますと、服用していると徐々に効果が薄れてきて効果がなくなってくるんです。最初に処方された時から一年以上たった今、自転車にも余裕で乗れますし、ごはんも美味しくいただいております。しかし、人としゃべると変な汗出ますし、いつまでたってもしんどいしんどい言ってやらなきゃいけないことにも手がつけられないまま。飲んだら、ただでさえしんどい作業に眠気までプラスされて何もできなくなりますので、嫌な点ばかりが目につきます。医師にそのことを伝えてもオールスルーされてじゃあ工場でライン工でもやってりゃええやんって言われました。それでも美術教室に通いだして絵を描く喜びを覚え、少しでも上達したいという思いがつのるようになって、今の自分に嫌悪感を抱くようになりました当時の魔法をもう一度体験したいそうなると副容量がだんだん増えていって最後はシャブ中になってしまう。それでもええんや、ワイは魔法少女になりたいんや!ということで多めに飲んだら、起きていられなくなってその日は何の作業もできませんでした。

 その変わり、今日は精神も落ち着いていて、音楽もほとんど流れませんでした。まさに魔法ですね。相変わらず会話はダメですが。薬との付き合い方をもう少し考えた方がいいですね。99%医師の言う通りにした方がいいですが、大阪でトップレベルの病院で精密検査までしたところの医師が無理って言うんだからもう自己判断でなんとかするしかありませんね。だいいちもう統合失調症であるかどうかは無関係ない自分の中で困っているものがなくなる薬がたまたま統合失調症に使われる薬だっただけですね。

 話をまとめますと、症状が重い人は医師の処方通りでいいと思いますが、精神疾患としては軽いと言われているが、だからと言って普通の人生が歩めるわけでもない微妙なラインにいる人は精神科でも相手にされませんので解決が難しいんです。この場合自己判断でなんとかせざるを得ないといことです。特に私のような人は自称精神病で実は怠けているだけなのか、本当に病気なのかの判別が難しく、そういう場合は原因を特定するのも大事ですが、それよりも自分の抱えている精神の不調とどう折り合いをつけて暮らしていくかの方が大事です。体に障害を負ってしまうと治らないのと同様に、心・精神が一度不自由になった場合も、やはり治らないことが多いです。それについて、昔はできたのになぜ今はできないんだと比べてしまうと、より苦しみが増しますので、諦めて受け入れていくのも大事なことです


 まだ薬飲んでいないので昨日から今日の作業内容書けそうです。ではガッと書いて終わったら薬飲んで寝ます。

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石膏デッサン14日目 ~部分と全体どっちを優先すべき?~

 今日は ヤフオク 明日もヤフオク 明後日 ヤフオク や ふーふふー

 今日こそ朝一に行ってがむしゃらに描く予定だったんです。だって昨日のままじゃ終われないじゃないですか。でも結局朝着いたのは美術教室が開いた20分後。原因はヤフオク。ヤフオクは工程が多くてめんどくさいし想定より時間がかかるのです。連絡は数回に渡ってしなければなりませんし、油断していると支店名を教えてくださいとか想定外の質問が来たりしているので全部確認しなければなりません。振り込まれて商品送ったらそれで終わりではなく、評価もしなければなりません。数が少なかったらいいのですが、出品数が多いと生活の時間配分に少し狂いが出るともう成り立たなくなります。そして、ヤフオクがこんなに長い日を必要とするなんて知らなかった・・もう終わりにしたい。

 結局朝一に来られなかった。それだけでなんかダレます。私は少しでも瑕疵があるものと完璧なものの2つに振り分けてしまう癖がありまして、例えば新品のiPhoneは宝石を愛でるかのように扱いますが、一回落とすとその後は「中古」扱いとなり、一気に扱いが荒くなります。新品のCDは指紋も傷もつけないようにそうっと扱いますが、ちょっとでも傷が確認されるともうケースも入れず、そのまま床に置いたりします。一日の扱いもそうで、朝起きるのが遅くなったりすると、その1日はもうほとんど何もしない。中間というものが存在しないんですね。というかちょっとでも時間の無駄使いすると他の前時間放棄するというのは、マジありえないです。少しでも時間を無駄にしないなんて不可能ですから。

 そんな感じで始めたデッサン14日目。アグリッパは辞めてヴィーナスに切り替えました。私はアグリッパ厨なので最初それしか描かない予定でしたが、アグリッパが好きなのと絵の腕を磨くのは関係ないというか、感情で判断して成長率を下げてはならないと思いまして、ヴィーナスも描くことにしました。いつだって必要なのは冷たい理性なのです。あの角度でアグリッパを描いても同じことの繰り返しになりますので。結婚相手を選ぶ時でもそうですよ。好きだからという熱くなった気持ちを一旦整理して、相手のことをよく知るのです。ニコラス・ケイジみたいに悲惨な末路を辿りたくなければ、理性で相手のことをよく知りるのです。そこでコイツは危ないとわかれば、好きな気持ちがスーっと冷めていくでしょう。ってな感じのことを美輪明宏が言っていました。まあ俺キモメンなんで関係ないんですけどね。顔これやし↓
 
 話はそれましたが、とりあえずヴィーナスを初めから描いていると、あることに気づきました。前から困っていたことですし他にも同じようなことを言う人はいるのですが、最初下描きをする時、大雑把にフリーハンドで描くと正確に描けなくなるし、緻密に計りたおすとかえってズレまくってしまう。このことがなんか解決できてしまったのです。
 どうやって解決できたのかというと、何となく見た感じをスッスッと描いたら前回ほどのズレは少なく、割と形は取れていました。もちろんズレているところは数え切れないほどありますが、それでもぱっと見でこれおかしくねえ?ってことはなくなりました。失敗してからその原因を考えることは今までたくさんありましたが、成功した原因を考える機会は希です。成功することがほとんどありませんしww 石膏デッサンに慣れたので大体の比率がわかったのもありますが、部分・全体の扱いがうまくなったのかもしれません。部分を見ると全体が見えなくなる。全体を見ると部分が見えなくなる。麻雀で言うならオリないと振り込んで負けるし、オリると点取れなくて負けるしみたいな感じです。正解というものがわからない。どないしたらええねん。

 でも石膏デッサンというものを考えているうちに、最初の下描きの際、部分はとりあえず犠牲にして全体を大まかにとって、その後計りを使いながら修正を重ねて部分を調整していくのが一番だと思いました。計りまくっているのになんでズレるの?と思っていましたが、全体を見失っていたんですね。先生もまずは大雑把にと言っていましたが、ズレてしまう恐れから計りという理論めいたものを頼りにしてしまいました。正確であるという根拠が欲しかったんです。描いていて似てないというのはそれほど精神的ダメージが大きいもので、ズレを恐怖と感じてしまっていました。その恐怖心こそが正確な描写を妨げていたのですが、私の中で「完全に似せることはできない」と悟ったら、「完璧に描けないならもうどんなにズレていても変わらんわ」と思うようになり、何となくラフに描いていくようになりました。ですが、ただのフリーハンドならやはりダメです。それ以上の成長も望めませんし。ただ、ここでポイントになるのは絶対はずせないところはちゃんと計るということです。最低限の基準は決めておかなければなりません。部分を修正していく際も信頼できる基準を設定しておかないと無限地獄に陥ります。ただ、絶対決めておかなければならない基準は少ないです。今回そのへんの折り合いがうまくつけられるようになったのではないかと思います。

 それ以外にも、もともと見たものを写すというのが私にはそれほど不得意ではないかもしれないというのも大きいと思います。多分ですが、それが苦手な人はいろいろ試行錯誤しても苦労は人より多いと思います。まあ自分で得意というのも変ですし、美術教室で俺そんな形取るの苦労せえへんねんとか言ったらウザいと思われそうですが、その代わり算数はどんなに勉強しても全くできませんよ。国語もかんしゃくを起して壁に問題集叩きつけていましたし、理科にいたってはもう別の世界の話で、私には関係ありませんでした。そういうのを体験してきた中で思うのは、デッサンは中学・高校の勉強ほどの悲壮感漂う苦労は感じません。人には得意不得意があるということですね。7年前にきづけばよかった。まあそうは言ってもデッサンがうまい=絵がうまいというわけではありませんからね。最終的にどれほど魅力のある絵を描けるかが勝負ですから、正確に描けることが全てではありません。今はまず階段の一段目は上がれたかなあぐらいの感じです。

 今日の作業↓

 20120214 vir

20120214 vir sekko

 散々ゴタク並べたけど、改めて見てみるとアカンなあ・・。その時は脳内補正でうまくいっているように感じるんですけどね。こんなんアップする必要あんの?と思うかもしれませんが、一応成長日記みたいなものですので、途中経過を載せたいと思います。写真で確認できるかどうかわかりませんが、消した線が数多みられます。それだけ線を消したり描いたりしているわけです。それはよくないのではないかと思うこともありますが、とりあえずこの方法で作業を続けていきたいと思います。


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石膏デッサン13日目 ~最悪のスタート~ 後編

 結局美術館に着いたのは開始2時間遅れで、座りたい席は埋まっていました。先週の作品の続きは描けません。この地点で一気にモチベーションダウン。人生で初めて褒められた作品だったから何としても仕上げたかったのですが。前と同じような角度で作業に新しさがなく、ストーブが直に当たって暑い。ヒートテック着用してるから余計暑い。というか遠くて見えない。眼鏡かけているけど、面と面の間の線がはっきり識別できない。なんでこんな妥協せなあかんねん。俺は一番いい席で一番いい作品を作りたいんじゃ。こんなところでゴミ作品量産するだけ恥や。もうやりとうないわ!

 外へ出たら雨が降っていました。ストーブに熱されていたせいか、寒さは感じなかったです。
 ああ、もう帰りたい。帰ろう。あと一週間あの席か。でも、知っているんだ。どんなにやる気を削がれても、最終的にはやるしかない。だから、ある程度気持ちを落ち着けたら戻ろう。
 俺は嫌やで。席も気に入らんけど、朝の出だしが悪すぎるわ。ダレた結果必要な時間まで削れて、席とり間に合わなくなった。しかも、今が基礎をつくる上で一番大事な時。そんな大事な期間だから1日も無駄にしてはいけないのに、1週間も無駄にしたら一瞬で差つけられんで。確かいくら計ってもどこがズレているかわからないんですよねーって言っていたおばさんがいた。その人は確かにうまくはなかった。でも、先週の最後見たら格段に上達してたぞ。一週間も無駄にしたらもう追いつけんくなるわ。気分悪い。帰る。
 でも、みんな常に上機嫌でやっているわけではないんだぞ。イライラしている中でも、嫌なことがあった中でもやってんだよ働いている人はむしろ気分が悪くない日の方が珍しいだろ。
 そんな理屈知らんわ。俺は帰りたいねん。やりたいやつはやったらええし、帰りたいやつは帰ったらええねん。俺社会人ちゃうし。社会から見捨てられたんや。もう大学の友達とみたいに働こう思ても二度とできへんのや。
 嫌なことがあったらなおのこと描いた方がいいだろ。それが芸術じゃないの?
 芸術ちゃうやん。ただ写しとるだけやし
 感情で決断をしてはいけない。大事なのは損得を冷静に考えられること。そんなこととっくに分かってんだろ?
 じゃあ今の状態をどう説明すんねん。遠くて見えへんわ。この状態を受け入れたらまけやろ。俺はダダこねるで。冷静にはいはい従ってるだけやあかんねん。お前親の言うこと全部聞き入れて大学まで行ったけど結局無職やないか。嫌やゆうて学校辞めたら17歳で芸術の道進めたのにな。
 それとこれとは別問題だろ。
 俺はなあ、自分の願いが叶わんかったら嫌やねん。自分の気持ちを人に売り渡すモンは絶対不幸になるんや。
 そうか。そんなに言うなら帰ろうか。

 外出てから30分たって14時30分。もうこんな時間になってしまった。でもあと1時間30分あるんだよな。あの時と同じだ。エイズ、B型肝炎の検査知るまで1時間半だったな。1ヶ月後検査するから来てって言われた時も、その1ヶ月もうまく使えなくて凄く後悔した。最後の1ヶ月になるかもしれないとわかっていたのに、無駄にしてしまったということが凄く辛くて、でも病院の待合室で思ったんだ。あと1時間30分あるじゃないか最後の最後に少しだけ残った、この時間を精一杯生きよう健康な人間である可能性も残された最後の時間だったから。統合失調症と言われ、エイズで追い打ちまでかけられたらもう自殺する以外ない。したくなくても、するしかない。だから、事実上寿命1時間30分。その時間特に何をしたわけでもなかった。でも、今ここに存在しているということへの喜びを噛みしめた

 まだ1時間半ある。この時間を大切にしよう。戻ろうか。でもムカつくから缶ジュース買えよ。それで許したるわ。

 部屋に戻ってアバウトな輪郭線から描く。でも、比率も全部知っているから、答え知っている問題を解いているのと同じだ。意味あんのかこれ。

 明日ビーナス描くかこのまま続けるか迷う。

20120213 agr

↑ここまで。

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石膏デッサン13日目 ~最悪のスタート~ 前編

 今日は今まで美術教室通ってきた中で一番最悪の日でした。月曜日にほぼ一週間の活動が決定しますので、一週間無駄になるかもしれません。

 今日は朝の6時に起きて、ヤフオクの梱包作業をしていました。しかし、住所を書くのにエラい時間がかかるんです。一度に多く出品しすぎるとヤフオクの画面的に誰がどれとどれを落札したかがごっちゃになってわかりにくい事情がありまして、ちょっと気を抜いただけで悪い評価につながるミスにもつながります。しかし、気が付けば8時20分。あと10分ほどで家を出ないといけません。基本的に美術教室にはいつ行ってもいいのですが、月曜日は席とりがあるため、遅れると大変なことになります。よって、梱包と発送は親に頼むことに。

「ごめん、これ出しといて」
「いいけど、住所ちゃんと確認した?間違いない?」
「確認はしてないから間違いはあるかもしれない。でももう間に合わない」
この前発送ミスしてクレーム来たばかりでしょ
「ああ・・」

 わかったよ。確認すりゃいいんだろ。そこからミスがないかどうか確認するのに1時間。完全にオワタ。もう行きたくないと思い、ぼーっと鬼火のように立ち尽くすこと30分。駅についたころには10時すぎていました。10時に現地着いても遅いのに、今から電車かよ・・。もうええわ。ということで、朝っぱらから定食屋に入りました。ああ、オークションで得た金が・・。知らん。俺はホルモン丼が食いたいんじゃ。文句ないやろ?

 実はオークションの発送作業は昨日やろうと思えばできた作業でした。なぜ今日の朝やっているのかというと、どうしてもやる気になれなかったからです。誰が何件の落札で、誰と誰が振込完了していて、誰の連絡が来ていて、誰に取引連絡しなければならなくて、というのを見ていると思考が停止してしまってワケわからんくなってきました。
 13時30分だから14時まで寝よう。寝たら流れかわるだろう。14時になった。あと30分後でいいだろう。15時。まだ手をつける気にならない。だからと言ってその間別のことをしていたかというとそうでもなくて、ただウロウロしていただけ。やらなければという思いと絶対やりたくないという気持ちに挟まれ、身動きがとれなくなっていました
 16時、17時、18時、19時メシ、20時。やっとやる気が出てきた。というか、そろそろやらないとまずい。だが、21時30分になったところで、ブログ書く作業に切り替えました。梱包は日付変わってからでもできますが、ブログはその日に書かねば意味がない。しかし、いつもは書きたいことワーっと書いて送信ボタンポチっと押すだけでいいのですが、書き溜めもメモ書きもないせいか、書いては消しで時間がかかる・・。
 そして、10時30分になった地点で超絶に眠くなってきました。1日何もしていなかったら体力余ってるやんと思うかもしれませんが、何もしなくても疲れるんです。特に板挟みで行動できないときは、精神的なダメージが凄く大きいんです。もうこうなると10分後アラームを設定して起きたらすぐまた10分後のアラームを設定してを繰り返して、結局寝てしまうわけです。せっかく友達がお気に入りに登録してくれたというのに。
 そんなんじゃ社会人になれねーぞと思うかもしれませんが、私は同じように宿題やらなくて会社クビになりました。自分に対しても他人に対しても責任が取れない人はヤフオクをやるべきではありませんね。ヤフオクに限った話ではありませんが。期限がある作業はみな同じ運命を辿ります。少なくとも、私が仮に絵の仕事をしたいとほざいたところで、納期は絶対守れないでしょうね。何度治そうとしても、この性質は精神の深部にこびりついていて絶対治らんのです。そのくせに次はできると思いこんでしまう。

 結局美術館に着いたのは11時30分。部屋はそんなに人数はいませんでしたが、案の定イーゼルの置ける位置はかなり限定されていました
 続く

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テスト


 今日一日の文章が書きかけで終わってまいました。眠すぎて死にそうです。日付が変わってしまいますが、もう少しお待ちください。
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石膏デッサン11日目 ~私が絵を学んでいるワケ~

 今日は休みですので、絵は描いていません。え?自発的にやらんの?言われたことしかやらないとか伸びしろないわーって思うかもしれませんが思想を学んだりすることが作品を製作していく上で欠かせないものになってくると思うので、美術教室で絵を描く以外は基本的に絵を描く時間にせず基礎教養の時間にしています。いい音楽を探したり、好きな絵画作品を探したりもしますね。

 そうしていると一つ思うことがあるのです。全然時間がないおそらく私の描く絵はかなりチャチなものになる。もうこれは避けられません。無理です。時間ありません。しかし、私にはこれをやる以外の道は残されておりませんので、逃げるわけにはいかないのです。どんなに下劣な作品になろうとも、他人の評価とか以前に落書きでしかなくても、やるということそのものが大事なのです。世の中は常に勝ち組と負け組しかいないみたいに煽っていますが、そんなことはありません。いわゆる勝ち組にならなくても、細々と生きている人もたくさんいます。その中で、自分が納得できる形をつくればいいわけです。

 金はなくても、自分の納得のいくものを作っていく。それが私の選ぼうとしている「幸せ」の形です。
 しかし、金が全く入ってこないと生活ができません。そして、私自信の考えられる結果は、年収0円になるということです。これはもう覚悟していますね。じゃあお前どうすんねん。結局ニートかwwwええ身分やなあwwwカーチャンに迷惑かけずにはよ自殺しろゴミがwwwって思うかもしれませんが、別に一生ニートするつもりはありません。働きながら絵が描けるという状態までもってこれるよう今集中的に勉強するのです。働きながら絵を描くということは、働きながら絵の練習をするということではなく、絵の完成作品を作るということです。

 でも多分それも無理でしょうね。私は体力が人より数段ないんです。大学時代も、みんなが大学行ってその後バイトして、深夜遊ぶということをしている中、私は電車で立ちながら寝て、授業中寝て、家帰って飯食ったら速攻で寝てという、まさに眠り王子だなって感じでした。こう、グッて力が入らないんですね。1つのことに集中できず、意識はどのシチュエーションでもメリハリがなくのっぺりした状態が続きます。ですから、今絵を描いている中でも何回も作業中断して廊下でうろうろしているということが頻発しているんです。他の人と比べても、席を離れる回数が圧倒的に多いです。うまく精神に力が入らないだけでなく、頭で勝手に妄想をかきたてたり、音楽を流しまくったりするので、そんな中で頭になんとか折り合いをつけて描いている状態です。だからワイは絵が下手でもしょうがないねんwwハンデあるやろ?な?wな?wそんな中で描いてんねんでww俺ホンマ凄いわーww辛いわー辛いわーwwでもガンバらななーww
って言っているわけではありません。ただでさえ無理ですが、その状態も加えて、私には絵で食べていくなんて夢物語です。

 最初に言っておきますと、絵で食べていくのは子供の頃から美術を学んでいても難しいと思います。もしも美術の予備校→美大ルートが安定なら、みんなそうしています。でも一般的には塾→大学→就職ですね。それが一番生きやすいんです。雇われの身は楽です。与えられた仕事をこなしていれば、一定の給料が自動的に支払われます

 それでも、私にはそれができなかったんです。つまり社会不適合者です。必要なことを伝える能力もなければ、言われたことを正確に聞き取ることもできないし、メモ取っても忘れる。考える能力が少しでもあれば絶対しないミスを頻発する。それでいて、誠実さがまるでない。何もない状態でも、人に囲まれているだけで精神がいっぱいいっぱいで、脳のメモリがほとんど残っていない。そのわずかな脳の領域でいろいろしなければならないから、ありえないミスもするし、他人に気を配ることもできない。それ以前に精神的に幼なすぎる。もうね、ここまで自己分析ができたらあとは覚悟を決めるしかありませんよ。どうにもならないです。社会に接しているうちに大人になるということもありえません。大きな子供です。それでどういう道を歩むか・・

 単純作業、例えば工場の流れ作業のような仕事に就くことです。それもあればの話ですから、誰もやりたがらないような、いわゆる3kの仕事しかないような気もします。でも、それは、人間として成長するために必要なことを学んでこなかったことへのツケです代償は、私自身の人生で支払わなければなりません

 それでも、そこに救いがあるとすれば、それは芸術なのではないかと思うのです。孤独で不安で、叫びたくなるような気持ちを何かの形で表現することができれば、それが救いになるのです。そういう時は文章にしていましたが、ある絵を見て、これは強烈なツールだと思ったので、絵を描いて自分の心を落ち着けたいと考えました。草間彌生も、自殺しようとしていたけど芸術に救われた的なことを言っていたような気がします。そこがどんなに辛い環境でも、いや、辛い環境だからこそ、芸術が救いになると思うのです。ですから、私が将来30も後半になり、工場の派遣も年齢制限で行けなくなり、キツイ末端の仕事で魂をすり減らした時に、家で頭を抱えながら、そのどうにもならない気持ちを絵で表現したりすることで何とかこの世に命を止めておきたいんです。つまり、絵を売るなんてことは最初から考えていないのです。今絵を学んでいる理由は、ただ描きたいだけなんです。だから今ニートと言われて蔑まされようが、全てを投げ出して絵を学んでいます。

 時々「なんで絵を描こうと思ったんですか?」と言われて、「いろいろありまして」と答えるのは、一言では語りきれない、このような思いがあるからです。日記を書いたら自分の霧がかった考えがまとまってきたようなきがします。


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石膏デッサン10日目(金曜日) ~衝撃の結末~


 今日の作業について、というか今週の作業について少し思うところがありましたので、今日はそのことを書きます。言葉で何かを説明するというのが苦手ですので、何言っているかわからないかもしれません。

 主な作業は輪郭線のとり直しと色づけです。色をつける度にいつの間にか輪郭線が消えてて描き直そうとするとズレを発見して修正に時間がかかるということの繰り返しです。色描いて、指で押して、また描いて、輪郭線も描いて、先に進みません
 自分が何をすべきかわかっていないんじゃないか。そう思い、昨日の先生がおっしゃっていた言葉を思い出しました。もっと重々しくずっしりと。そのためには濃いとこは濃く描かねばならない。思い切って、暗さ第一位の部分を消えないほど黒く描いてみました。↓

20120210 agr1

うん、いい感じですね。この調子で暗さ第二位→三位とつけていったら今週中に仕上がりそうです。逆に今週中に仕上げないと席替えでイーゼル撤去しなければなりませんので、今から仕上げるにはかなりスピードを上げなければいけません。

しかし、この方法は却下されました

部分部分を黒くしていくのはよくない。それは、黒い色にこだわって部分しか見れていない。そうではなく、頭のここからここまでの側面とか、そういう1ブロック単位全体でとらえ、その一面の明るいところと暗いところを意識する

つまり、↓

20120210 agr matomari

こういう感じの一つのまとまりごとに描いていくという意識が必要ということでした。

 それはそれでいいとして、もう一つ問題が。壁や隣の石膏像がないという設定で影を描いてくれとつまり、現実で「反射」によって明るくなっている部分は、右からの光のみ当たっていると仮定した場合、暗くなるはずなんです。すなわち、見たままの光加減を描くのではなく、自分で想像してここは今白いけど本来黒いはずだから黒くするといった具合に置き換える

 20120210 agr sekko kai

↑囲んでいる部分が反射している部分

 これ前にも言われたような気がしていましたが、完全に忘れていました。いや、忘れていたわけではない。薄々気づいていながら反射があるのとないのとどっちを描くべきかという選択にすり替え、さらに今回は反射がある場合を描いてみて、次回は反射がない場合を描いてみるという結論を勝手につくりだした光を想像で描くなんて難しいから、課題から目を背けたのではないか。マジクズ。

 それと、薄く描くのを繰り返すより、ある程度強く描いて、指で押していった方が石膏らしさが出るし、そうでないと作業が終わらないということでそうすることに。

 しかし、色を置き換えるというのは本当に難しいです。光も当たっていなければ反射する要素もない部分が明るかったりするので、計算がなかなかできないのです。特に壁だけならまだ計算しやすいのですが、隣の石膏像からの反射になると、もう複雑すぎてどうしようもないんです。石膏どかすわけにもいきませんし。となると、あとは色を実際描いてみて立体に見えるかどうかを試してみるしかありません。 

 そうなるとああでもないこうでもないと考えますが、それをして思ったことは、見たままを描いたら100%ためにならないということです。どういう風に描いたら立体に見えるのかを試行錯誤して考えないと、何も見ないで描けなくなると思うのです。こういうとき、フォトショップが使えれば、パソコンで色を塗って考えることができそうなのですが。

 というか、先生の言われた通りに作業してみて一つわかったのは、水曜日ぐらいからやっていた作業のほとんどが無意味だったということです。来てないのと何ら変わりはない。だって色描いて消しただけやし。最短ルートで学んでも身を結ぶ可能性がほとんどないというのに、あろうことか目の見えない犬みたいに同じ場所をぐるぐる回っている・・

それで今日の結果です。↓

 20120210 agr2.5

 結局あまり進みませんでした。しかも影のつけ方がおかしいですね。しかし、明日でギリギリなんとかなりそうです。人生で初めて褒められた作品ですので、これだけは何としても仕上げたいですね。
 しかし、終わり際に事務の方がやってきて

「もうそろそろ終わりですので片付けてくださいね。」
「え?」

「明日祝日で休みですので、今週はもう終わりです。」


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未完成のまま終了してしまいました。
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石膏デッサン9日目(木曜日)

 「マンガで分かる心療内科」というのをご存知でしょうか。その原作者の精神科医が書いた本を朝電車で読んでいました。タイトルは「自分の心を絶対にやる気にさせる心理術」私こういうの好きなんですよね。だって、自分を変えられる方法が書いてあるかもしれないじゃないですか。よく自己啓発の本なんか読んだって無意味という人はいますが、その人たちは多分読んだことないでしょうね。1冊最初の方読んで説教臭く感じたからもう閉じたとか。そんな本一冊で変われるんなら、誰も苦労しないとか。しかしそうではありません。自分を変える「きっかけ」を得るのです。あくまできっかけにすぎませんので、その後の努力は必要ですが、道を示してくれることが将来を変えることにつながるかもしれません。まあ嘘書いてある本もありますから、情報選択能力は必須になってきますが。

 そこに書いてあった気になることとしては、基本的に自分の集中力を信用してはいけないということ、今取り組んでいることを投げ出したくなったら、あと1分だけ頑張ってみようと思うこと、何から手をつけていいかわからなくなった時は分割して考えること。
 それともう一つ。良くも悪くも、人は見たもののイメージに強く影響されてしまうということ。つまり、ネガティブなものに接すると気持ちもネガティブになっていくということです。当たり前のことですが、自分には心当たりがありました。作業用BGMにゆめにっきを使用している・・これは心理学的にアウトすね。重い・暗い・同じ音のループ。不安になる要素満載です。心無しか石膏デッサンに少し悲壮感が出ていたような気さえしていましたが、これが原因でしょうか。
 ということで、明るい曲を探してみました。ぱっと思いついたのは、ピアノの旋律とオルゴールの音色。この2つは本当に美しいですね。でもどちらもiphoneには入れていない。しょうがないので、ゆめにっきのセーブの曲とポニ子がいる前のピンクの海のBGMとポニ子の部屋のBGMを選びました。

ポニ子の海
ポニ子の家
セーブ

結局ゆめにっきやんか。でも、ゆめにっきの中でも明るいので大丈夫です。昨日まで使用してたのは数字の部屋とチャリ置いてある部屋と森の3曲ですからね。

数字のステージ
チャリとれるとこ
目玉

明らかにチョイスが悪すぎる。何言っているのかわからないと思いますので、リンク貼っときます。
 というか、本当にいいのはやっぱり無音なんですけれどもね。今の私の頭では何らかの音楽が必ず流れるので、どれか選ばなくてはいけません。

 それはそれでいいとして、なぜ濃くなりすぎるのかわかりました短く持っていたのです。これはいけません。一番最初で言われた初歩の初歩ができていませんでした。言われなかったとしても、工夫すれば自分でも気づける範囲です。考えて描いていなかったということですね。コラッ!前々からあれほど考えて描けゆうてたのに。

 そんなこんなであまり作業も進んでいない中、先生登場。今日の先生は、喋り方はゆっくりで、上品で、それでいてどこかミステリアスなマダム。気品のいいオーラが出ていました。美術をやっていると、こんな風になれるんだ。
 まあ今日もダメだしを受けるわけですが。と思ったら、よく形とれてると褒められました。その他にも何人かに褒められたことがありまして、でも褒められるという経験が滅多にないのでどう返事していいかわかりませんでした。思えば小学校の頃から、公文に通っていて算数ができなくて泣いて、高校では理科は全く理解不能の領域国語の問題は何度やっても絶対正解しない英語はそもそも読めない。親からは頭が悪いと罵られる毎日。それといって得意なこともなく、それどころか人が最低限持っているとされている会話能力もない。自分という人間は何をやってもダメで、無価値だと思って生きてきました。しかし、そんな私も、絵が上手に描けていると褒められたのです。私にも、不得意ではないことはあった。小さい頃から、いろんなことをやって、自分は何が得意で、何が好きなのかを探し求めるべきでしたね。。でも、近所に書道教室があったので行きたいと言った時も、絶対長続きするの?どうせすぐ飽きるでしょ、と言われ行かせてもらえなかった俺は算数なんてやりたくなかったんだどうして勉強していい大学入って一流企業に就職するしか生きる方法がないみたいな言い方をするんだ。生きる方法なんて、それはもう本当にいろんな方法があって、だからいろいろ知るためにいろいろ経験するんだよ。そん中で自分にピンときたものを選ぶんだ。塾なんて行きたくなかった・・

 それはいいとして、昨日友人が私のデッサンを見てもらったところ、ヌルんとしている言とわれましたが、それと似たようなことを指摘されました。輪郭が曖昧で、余白に吸い込まれそうになっていると。ちょっと笑いがこみ上げてきました。何にせよ輪郭をもう少しはっきり描いてくださいということでね。
 もう一点。石膏デッサンは、もっと重くてどっしりしているものでなければならないと。画面が全体的に薄くてのっぺりしているんですね。本来石膏を見る画面は、背景に壁があるので、背景が黒で石膏の光があたっているところが白になります。しかし、紙の余白は白。でも石膏の光が当たっているところも白。ですから、立体感を出すためには光が当たって白くなっているところを黒くして、影になって黒い部分をもっと黒くする必要があるそうです

 これでまた一つ賢くなりました。実際今の言葉を聞いて忠実に再現できればの話ですが。

 にしても、一度描いたはずの輪郭線を再度描くのにかなり時間がかかってしまいました。色と色の間がわかれば大丈夫だろうと思っていたのですが、実際ほとんど輪郭が残っておらず、最初からやり直し状態でした。2度手間にならないためには、消えないようにそのつど描き足していく必要がありますね。特に目と口を描き直すのには時間がかかりましたし、神経使いました。その時だけゆめにっきのチャリとれるところと目玉腕が取れるところのBGM流しました。あのBGMを聞くと、一種の緊張状態になるんです。集中したかったですので。

今日↓

20120209 agr

昨日↓

20120208 agr

どや!ある程度直ったで(笑) ただ、色は作業途中なので今の段階ではめちゃくちゃです。

こっちの方が表情よかったかな?↓

20120209 agr 2

作業内容の報告が少なくなってしまいましたが、以上です。結局2度手間、3度手間のせいであまりすすんでいませんね。明日こそは仕上げていこうと思います。

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石膏デッサン8日目 ~作業の進み具合が・・~

 今日は試しにです・ます調で書いてみます。

 今日の朝は作業始める前に昨日友人に言われたことを考えてみました。石膏の清潔感と硬さがないのは濃すぎるからではないかというとと色を塗るという概念がそもそもおかしいということ。なんで塗ったらあかんねん、色って塗るもんやろ?と思うかもしれませんが、形を全部とってから色を塗ると立体感が出なくなりますし、石膏っぽくなくなってしまうそうです。そういう技法の絵も沢山ありますが、それはそういう絵であって、石膏デッサンでやることではないです。色の部分の線も、輪郭に使う線も、元を辿れば同じ木炭から奏でられる線です。ですから、輪郭を取りつつ色も描いていくというのがセオリーということですね。石膏デッサンにおける色は描くものなのです。石膏デッサン以外にも同じ技法が使えそうとか思ったりします。将来自分の頭の中のイメージを絵に具現化するにあたって、技法を多く知っておけばそれだけ夢が広がりますね(笑)。
 
 そんなことを思い出してから作業開始。まず色をガーゼでハタいて落とします。ですが、一度指で定着させてしまうと、ハタいてもあまり落ちないのです。それでもスパンキングを繰り返しました。ペチンッ ペチンッ 音を鳴らせていると、なぜかあのガチムチ兄貴を連想させてしまいました。ヘリントンが言っている・・ああん?最近だらしねえな? 

 そんなこんなで色を描き足して消してを繰り返しているときに、先生が来ました。色づけが細かすぎるとおっしゃいました。小さい部分部分をチョロと描くのではなく、大きな面全体を塗ってくださいと。要するにポリゴンの1ピースずつに色を描いていくわけではないということ。あれ、Y先生と言っていたことが違うような・・ん?もうちょっと記憶を巻き戻してみて。

 「ここから変化するでしょ?だからここから調子を変えてください」
 「1ピースずつ色描いていくわけではないんですよね?」
 「まあ本来ならそれがいいんですけどね」

 本来なら・・なぜ本来と言ったのか。それは、石膏デッサンに慣れて、ある程度描けるようになったらということではないだろうか?ここからって言いながら大きな面全体を指差して指していたような・・ 本来ならそれがいい→じゃあそうする と短絡的にとりましたが、そうではありませんでした。でもある程度描けるようになったらポリゴン像描かないような気も・・

 それと、色が汚くなるのですがと言ったら、全部同じ色をしているから、3色ぐらいに分けてくださいと言われました。でも3色はさすがに少ない。今何色? これとこれとこれと・・6色ある。でも今の私に6色も使いこなせるだろうか。でもどう見ても石膏像は3色ではない。もう一度見る。まず明らかに光が当たっていて白いところと光が当たらなすぎて問答無用で黒いところは外せない。その中間で、ナンバーワンではないけど、比較的黒いとこと、まだ明るい方の黒がある。ならこの4色で決まりだ。
 
 それに加え、さっき言われたここからここまでを1ブロックとカウントする「面取り」をし直しました。そうか、ポリゴンで作られた石膏像がある理由は、顔を単純化して描きやすくするためじゃなく、面の向いている方向をわかりやすくするためだったのか。

 しかし実際色描いてみるとうまくいきませんでした。色描くと無条件で黒くなるので、3色どころか事実上1色しか出せないのです。その関係で、描いてはハタいてを繰り返していたら午前が終わっていました。ほとんど何もしていない状態です。↓

 休憩にトイレ行くと、さっきの先生がいました。ここで先生に濃くなりすぎると聞くと、見せてみいということで部屋に来てくれました。そして、「別に濃くないよ」と。言われてみればそこまで濃くないような。部屋に日が差していなかったのと、脳内補正で黒いとばかり思っていました。そして、次のことをおっしゃいました。

慎重に描きすぎると伸びなくなる。最初のうちは失敗してもいいからいろいろ試してみるべき

 なるほど。教室に通う理由はここにありました。人に言われないと絶対にわからない物の考え方がわかる。しかも、大阪市立美術館の研究所は、いい先生が多い。塾などではいい先生は4人中1人いれば運がいいと考えてもいい。ですが、ここの先生は逆によくない先生の方が珍しいです。まあ何をもってしていい悪いと考えるかは人それぞれですが、私が言われて嬉しいことは、どこがズレているとか指摘してくれるだけでなく、なぜそうするか、どうすればいいか、そうなるに至るまでの考え方のプロセスなどです。次に自分で考えて一人でもできるようになるので、そういう感じのことを言われると嬉しいです。というか、まず人のことをいいとか悪いとか言える身分ではないですけれども。

 流れを取り戻せそうなので、おにぎり食ってバナナ豆乳飲んだ後すぐ部屋に戻りました。
 
 それでできた結果は・・↓

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え?お前寝てたん?というか、輪郭が消えてしまってむしろ前より悪くなったような・・目もズレとるで。よく見ろ、昨日これやで↓

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 作業がほとんど進んでいない理由としては、今日は特に眠くなる日だったということに加え、考え事をしていたこと。考え事。それはささいなきっかけから生まれた過去の誤ち、将来の自分の姿。しかし、今を大切にしない人間にどういう将来があるというのだろうか。妄想と考えることは別ですからね。でも、集中力がなさすぎて会社クビになったぐらいですから、急には出ないし、自分を許してあげた方がもしかしたら長続きするのかもしれない。いや、自分に厳しくしないと、どこまでもたゆんでいくだろう。できなくてもやろうとするその精神が大事で、絵を描くということは、それを通してものごとを考える練習や、精神鍛錬の意味があると思うのです。ですから、もっと早く絵を描いておくべきだったのです。絵に限らず、習い事はそういうことです。ですから、もう社会に出る段階になってからやり始めても遅いです。が、自分は死ぬまでにそういった人間が本来通過すべき精神の修行を経験をすることが、こんなふざけた人生への供養になるのではないかと思うのです
 
 明日こそは1点集中したいと思います。
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石膏デッサン7日目(火曜日) ~首周辺の修正と色付け~

 今日の出来はこんな感じ。↓

20120207 agr last


 え?1日かけて何してたん?という感じだが、前半はアゴの修正・後半は色描く作業をやっていた。

 アゴから首にかけての修正作業のことなのだが、これが思ったより苦戦した。それでもズレの因果の発生源というか、諸悪の根源がどこかにあるはずだからそれを見つければよいということは前回学習済。逆にそれ以外は一見間違っているように見えても実はフェイクで、その部分を直したところで新たなズレを誘発するだけという無間地獄に陥る。これを知っているのと知らないのとでは天と地ほどの差で、知らなかったら懐中電灯無しで真っ暗闇の中を手探りで進んで行くような絶望感。

 しかし、アゴを直そうと思ったら、まさか首が大幅にズレていたとは思わなかった。首の太さも、こんなに削ったら作画崩壊起こすんじゃないかと思うほど変えた。それも勇気の一つだった。今回は勇気が出てくれてよかった。

 これが前半パート。

 後半は色を描く作業だった。が、何と言っても私の描き方の特徴としては、色づけが非常に汚い。特徴ではないな。単にできないだけだ。木炭の跡は残りまくりで、しかも濃い。木炭の使い方もおぼつかなく、描きたいところに線が描けなくて、描きたくないところに線が入る。どういうことかというと、色を描く際に線と線の間に木炭を走らせたいのに、そこは白いまんまで、逆に線に線を重ね塗りしてしまって余計悪化する。

 それでどうしたかというと、先生の言った言葉を悪用した。確か、線を引いただけでは紙の上に木炭の粉が乗っかっているだけなので、指で軽く押したりして紙の目に木炭を押し込んで定着させてくださいと。だから指でぽんぽんと押したのだが、その際、若干指を紙の上でずらしながら押して粉を均等に振り分けた。でもこれは擦っているのと変わらない。実は擦るのは禁じ手で、擦ると色が汚くなるからできるなら避けたい方法だ。また楽してしまった。三つ子の魂百までというが、この楽な方へ流れる性癖は生涯治らないのだろうか。無意識というか、気づいたら楽な方向へ流れているので自覚しづらい。

 やはり最初から綺麗に描ける方法を模索しなければならない。一つ考えられるのが、薄く塗るのを何回もくり返して定着させる漆塗りみたいなやり方で描いていく方法だ。結果を急ぐあまり、初手で決定打を目指そうとするからいけない。要するに、私は色をつける時間を過小評価していた。輪郭を定めるのに時間を費やしすぎた結果だと思う。私の中では完全に 構図>色 だった。色なんてせいぜい1時間半あればできるだろうと考えていたが、それは違った。初級者なのになんで全部うまくいくことが前提なのだろうか。

 それと、今日やったミスとしては、イーゼルを途中で動かしたこと。無意識にガッてずらして、やってしまった後に我に帰るといういつもの思考回路に陥ってしまった。というのも、姿勢が悪すぎたためにピカソみたいにいろんな角度から描いているのに気がついて、そもそもイーゼルと椅子の位置に無理あるやろ、そんなもん最初に念入りにやっとけやという風に頭のなかでイラッとして、瞬間的にやってしまった。下からのぞき込むように見ていたときとか、自分のバカさ加減に腹が立った。でもそれにも原因が必ずあるはず。多分さっきも言ったようにイーゼルと椅子の位置が悪い。意識のメモリには限りがあるので、姿勢を正すことに神経を傾ける割合を自然に減らせる位置でなければならない。
 それはそうと、今日は先生が来ない。1日1回の日もあるが、0回はありえへんわ。と思ったら、終了10分前に現れた。そこで先生が言った言葉。

「アゴ出すぎ」

 オイ、それ午前中言ってくれよ!終息宣言出るまでとことん直したのに、これ1箇所ズラしたら連帯責任で他の箇所もズレるからまた最初からやり直しというか、今日1日が無駄になる。それは凄く恐ろしいことだ。今回ばかりは祈るしかなかった。結果的には、多分先端だけ直したらなんとかなると思うんだが・・。ということで、急ピッチで直しました。気合で押し切りました。

 明日の作業は色。特に目と口に色つけたら顔が変わってしまった、なんてことが十分予想されるからそこだけはマジで時間と集中力を費やさねばならない。

他にもメモしたいことはいろいろあるが、それはまた機会があったら書こうと思う。

↓比較

20120207 agr1

20120207 agr last
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石膏デッサン6日目(月曜日) ~ワンチャンス到来か!?~

 風邪気味で辛い・・でも働いている人は38度以上の熱があっても来いって怒鳴られるそうですね。あくまで「気味」の私がこんなところで寝るのは甘え以外の何ものでもない。だから気合入れて書きます。

 今日は席取りがあるから早く行かなければならなかった。9時30分は修羅場と化するだろう。しかし朝iphoneの充電してて出遅れてしまった。しかも電車では先行列車がつかえておりますとか言って8分くらいドア開いたまま動かへん。それが3回くらい起こった。電車爆破させようかと思った。

 しかし、9時45分についても誰もいなかった。あれ?席とり重要だと思うんだが、まあ選びたい放題できるからええねんけどな。
 だがここでまた択が発生する。私がここ最近身につけた勘が告げる。ここはよく考えなければならない場面だ。その選択肢1つで後々の全てまで決定してしまう重要な択、すなわち「思考ゾーン」だ。

 まず、うまく描けるようになるまで何度でもポリゴンアグリッパを描くべきか、いろんなやつを描いてみるか。1種類もまともに描けなかったのに、どうして他のものまで手を付けるというのだろうか。いや、いろんなものを描いて視野が広くなり・経験が深まるから1種類のものがまともに描けるようになるのではないか?いや、まだあれでは1回描いたうちに入らないだろ。違う、1回描いたのは事実なんだからカウントしていいだろ。1ヶ月間アグリッパを描くことがワンセットという考え方もできる。いや、先週のアレでもう基礎の基礎はできただろ?まとまらんなあ。結局実際やってみないとどちらが正しいのかわからない。

 こんな風に頭がごっちゃになってなかなか決まらないうちに、もう後から入ってきた2人がイーゼルを立てた。決断は、遅すぎたら正解であれ不正解であれ0点だ。納期に遅れたらどんなにいいものができていてもやっていないのと変わらないのと同じ。となれば、後はもう直感で決めるしかない。その時頭に浮かんできた言葉は・・
 前回満足のいくできではなかった。ちゃんと描けてないまま撤退するのは、なんか負けた気がしてムカつく。イライラすんの嫌いやねん。だからアグリッパに決定。本来決断に感情をはさむなどもっての他だが、ムカつくんならしょうがない。

 次に、どの角度で描くか。前回と同じ位置か。それとも横か。正面とそれに近い位置は無理だから、前回と同じ位置か真横かの2択。でも前回と同じ位置で描いて前回よりも劣化したらハートブレイクなので、横に決定。真横という選択肢もあったが、イマイチ踏ん切りがつかなかった。


20120206 agr sekko


なんか前回と似たような位置だけど、同じというわけでもない、微妙な角度になった。これだったら何も考えないでパッと決めた方がよかったんちゃうん?でもまあ考える訓練にはなったかな。

 で、いざ書こうと思ったら木炭紙がなかった時の脱力感。美術館内にある画材店に行きました。とりあえず5枚買ったら1400円だった。え、こんなすんの?1枚280円と聞くとそんな高くないように思えるかもしれないが、1週間で5枚使うと過程して、1400×4=5600円。授業料7000+木炭紙5600+電車賃15000=27600円。最低でもこれだけかかる。破産してまう。金というライフソースがなくなった地点で終了。なんというネクロポーテンス。でも働きたくないでござる。そういえばみんなは私のことをどう思っているのだろうか。人生働ききって、そうしてやっと得られた老後という自由な時間を使って、働き詰めだった頃自由な時間をもてなかった分、せめて死ぬまでの間、趣味をやりたい。そういう思いで絵を描きに来ている人がたくさんいる中、まだ働く世代が趣味に没頭している。は?何なんコイツ?俺が逆の立場ならとうの昔にキレとるわ。だから私にできることは、今まで働いてきた人たちを尊敬すること、精一杯頑張ることとだけなんだ。


とりあえず午後になったのだが、おおまかなアウトラインしかできていない・・。なんだか、失敗するのが怖くて手が動かなかった。クソ!俺はいつから保身するようになったんや。昔からや。でも、保身から捨て身になりたくて絵画教室という大海原に出たんやろ。金かけてまで行って、現場で保身って意味わからん。だから一刻も早く描き始めるんや!あ、でも昼になったから飯食ってくるわ。

飯食ったあとは一気に形作りはじめる。でも丁寧にやれよ。早く正確にだ。これが高校のときだったらゆっくりしててもええで。でも今お前おじんやろ?クオリティ高く、多く、これ以外に道はない

やっぱり最初はズレてもいいから大まかに描く。飾ってある見本見ても輪郭消した跡あんで。だからそれでええねん。でも、計らなければならないところは慎重に。

と、口がまた変になった!この前と同じだ!やばい! けど、今日は10分ほどですぐ直った。そういう時は、比率の問題だ。じっくり見てもわからなくても、どこかで必ずズレが存在している。これは気づきのゲームなんだ。ここに対してこう、ここに対してこうだからこうなって・・あ、直った。
前回の失敗の反省が生かせている。何も考えないで描いていたら、無限地獄をさまよっているとこだっただろう。

で、こうなった↓

20120206 agr


これワンチャン来たんじゃね?2重アゴすぎるとか色の付けかたが意味不明とかそういう課題はあるけど、修正は比較的容易にできる。ワンチャン来たら掴みとる!これ鉄則なり!
今日は以上です。明日が楽しみ。
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5日目(日曜日)~私にやる気はあるのだろうか~

 今日はデッサン教室休み。石膏デッサン5日目って書くと後で見た時に何日経ったかわかりやすいけど、タイトル詐欺になってしまう。明日を5日目にすると、時空がわかりにくくなる。どうしたらいいだろう。

 さて、一日何をしていたかというとオークションの出品作業。一日かかって何を出品してんの?というと、マジック・ザ・ギャザリングのカード。いらないものはどんどん処分するべし。残すものは本当に必要なものだけでいいんだ。そういう風に言うと、絵を買ってくれる人がいなくなってしまうかも。まあ私が何十年絵を描き続けたところで1円にもならないけど(笑)
 カードゲームは学生の頃やっていたものです。もうやる相手いないし。友達いねーし。だから必要な人に渡そうと思う。ただ、やはりMTGの絵はある意味芸術的だなあって思う綺麗さがあるので(旧枠だけ)、手放すには惜しい感じだった。でもまあ無くなったら綺麗に忘れるんだけどね。これが結構高くで売れるんですわ。過去に最高で1枚2万以上で売れたものがあった。まあそんな貴重なものはめったにないんだけど、無職の貴重な収入源。

 今日はそれはそれでいいとして、3日目(金曜日)に10時30分まで考え事していたって書いたけど、その内容について書いていきたいと思います。

 金曜日

 かつて父がまだ生きていた頃、何度も言っていた言葉がある。「忘れるというのは人間の素晴らしい機能。全てのことを記憶していたら、脳がパンクしてしまう。」確かに脳のメモリには限界があるし、ちょっとイラッとしたことまでずっと覚えていたら人間関係ももたない。そういう意味では、許すというのは忘れるということでもあるのかもしれない。
 しかし、それでも私は忘れるということにプラスの印象をもてなかった。当時でも物忘れが多かったし、今では本当に大事なものまで忘れてしまって、忘れるという機能に恨みさえ感じている。どれほど苦しい思いで中学・高校通ったか。会社で仕事もまともに手がつかず、コミュニケーションもままならなかったことにどれほどの絶望を味わったか。自分は何で絵を描きたくて、どういうものを描きたくて、どうしなければならないのか。そして、絶対負けたくない、このまま何も知らないで死ぬのは絶対嫌だという熱い気持ちでさえ、簡単に消えてしまう。

 そうでなければ、仮眠をとったつもりが朝になっていたなんてことになるはずがない。本当に目的を達成したいなら、何が何でもやりとげたいという気持ちがあるならば、どうして眠さに負けるなんてことがおこるのだろうか。私は知っている。もうあと1ヶ月しか生きられないと思ったことがあって、そのときは一心不乱に思いをノートに書き綴った。明日眠くなるかもしれないから夜ふかしはやめようとか、そんなこと思わなかった。明日がないとわかれば、明日のために体力を温存するなんてことはしない。だから死ぬ気でやっていないことは確かだ。一体自分が今どういう状況に置かれているのか忘れているのではないか?

 24歳で本も読んだことない。日本文学も西洋文学も知らない。詩も小説も興味ない。哲学も理解不能。日本史専攻したのに日本の歴史は織田信長とか豊臣秀吉とか小耳に挟んだ程度。演劇も宝塚数回行ったことがある程度。音楽も知らない。クラシックもジャズも演歌もロックもパンクもJポップもレゲエもラップもメタルもわからない。ファッションは全裸じゃなきゃなんでもいいというスタンスだった。やるゲームも偏っていて知っているのはごく一部。漫画も一部しか知らない。アニメも見ない。流行りのことなんて何も知らない。政治の話されてもちんぷんかんぷん。工芸も好きとか言っときながら知っている作家の一人も言えない。絵画のことも知らないし、絵なんか描いたこともない。

 人間らしいことなんか何一つ知らなかったから、精神の成長が止まったままで人との付き合い方がわからなかった。だから集団生活ができなかった。高校生の頃とか人間扱いすらされてなかった。おまえそれで随分苦しんだだろ?それが嫌で、大人になりたくて、もっと人間について勉強したいと思ったんだろ?ガキのまま生き恥をさらし続けるなんて、もう二度としたくなかった。だから文化を学ぶ必要があった。その中でも特に絵に興味が向いたから始めようと思った。でももう遅すぎるから、全てを犠牲にしなければならない。人生で一つも努力したことなんてないんだから、このまま何も学ばず人生を終えたら、人間に生まれた意味がないと思う。疲労で倒れるほど学んでみろよ?また3日坊主かよ。ああ、そういえばこの前絵を出展した友達が「学」っていう名前だっけ。いろんなことを学んで、賢くなってほしくて、だから「マナブ」なのではないだろうか。なんていい名前なんだろう。真剣に学び続けてきたから、それが認められて展覧会に出展できたんだ。そういえば私にも「伸」という名前がある。人として立派に成長して欲しくて、伸びるという字をあてた。いや、実際は占い師に言われたままつけただけなんだけど。自分の子の名前という大事な決断も人任せにしたところからして、もう主題が他力本願のような気もする。

 話はそれたが、自分が深く考え続けてやっと出した結論を、簡単に風化させてはいけないということだ。私にはそれができていなかった。そう気づいたことも、こういう風に考えたこともどうせまた消えてしまう。それは絶対にいけない。そう思ってペンを走らせ続けていたら10時30分になっていたのでした。

 それと実は絵を描きたいと思った理由はそれだけではない。あと3つある。だけどそれはまた機会があったら書きたいと思う。
 明日も朝は早い。いや、9時30分開場だから早くはないな。まあ朝から始まるんだから、気合いれないとね。
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石膏デッサン4日目(土曜日)後編

 午後の作業はどうなったのでしょうか。それがすごいはかどった。音楽がなっていないだけで、こんなにも集中できるのか。この時はもう本当に嬉しかった。集中力のなさが強烈なコンプレックスの私にとって、集中力アップというのはもういくらお金を出しても買えない神の贈り物だった。

 そんな流れの中、口にも色をつけようと思って微調整していったら・・。口の形が変わってしまった。遠くに離れて確認した途端青ざめた。ああ、これはやばい。顔のパーツが似てなかったりズレてしまったりすると、直すのが極めて困難であるということ。目や口は少しのズレで印象がすごく変わってしまう。慌てて元に戻そうとするが、全然だめ。見たそのままを描いていて、なおかつズレていないのに表情がおかしくなる。実物のアグリッパの石膏像はリキッとしていて知的で強そうな感じなのに、何十回描いてもスネてるみたいになったり、(´・ω・`)ってなったりする。ホントストレスがたまった。もうどうやっても似ない。1時間以上口を直すためだけに費やしたが、無為だった。誰もいない廊下に出て、練り消しを壁に何ども叩きつけた。

 そうやって物に八つ当たりはした。でも、グレただけじゃだめなんだ。どんなにムカついてても、感情的にならずに理知で困難に立ち向かっていかなければ先には進めない。そう、いつまでもこんなとこでふてくされていてはだめだ。戻らないと。

 暫くした後戻って確認。まず脳内でそうとうな補正がかかっていると見て間違いない。N先生がたしか似ないときは比率の問題と言っていた。比率が悪いのか。でも口の微妙なラインとか、比率で解決できるものなのだろうか。位置関係か?鼻のこの位置に対して・・ん?口が・・

あ! 

20120204 matigai


 オレンジの丸で囲んだ部分。顔の端に口がついてしまっている!
こんな大きなズレに全然気づかなかったなんて。なぜ1時間もさまよったのだろうか。たしか鼻の位置関係からこのズレに気づいたんだが、そもそもこの鼻を信用していなかった。どうせズレるだろうという前提で手を進めていた。つまり、信用できる基準というものが存在しなかったんだ。まあ部分的な基準にはなるが、それでも基準無しで描けるわけない。そもそも間違っているのが前提でそのまま進めるということ自体、いったいどういうことなのだろうか。間違っているのなら、正しくなるまで向き合わなければならないだろう?

 楽してしまった。人生において、いつもいつも踏ん張らなければならないところで、私はいつも楽をしてきた。そのツケが今の何もない焼け野原の自分。悔いたつもりやったのに、心の底では全然反省なんてしてなかったんや。しょせん俺がしたつもりになっていた反省なんて、上っ面だけのものやったんか。絵がうまく描けなかったよりも、自分がクズ人間のまま成長していなかったことに腹が立ったし、悲しくなった。
音楽幻聴とかでうまく集中できなかったというのもあるかもしれない。でも、それを乗り越えようとしなかった私の不遜な態度は言い逃れようもなく間違っていたと思う。

 の後どうしたか。もう運だけで描いた。数打ちゃ当たれ。あとここに対してこうとかそういうのもやってみたが、どれもハズれた。もう自分にできることは祈りだけだった。いや、考えなくては。今更何を考えるんだ。基準のない、ズレの集合体でできた絵で、一体何を考え、何を信じられるというのだろうか。

そしてできたのがこれ↓

20120204 agr

退化してねえ? だって昨日のこれやで。口へんやし、目ちっさいし。

20120203 agr

この段階で、時間がきてみなカルトン・イーゼル・その他道具を片付けました。ここが俺の終わりか・・

ちなみに進化図

20120201agr d

totyuu.jpg

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20120204 agr

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石膏デッサン4日目(土曜日)前編

今日は一ついいことがあった。でも、悪いことも一つあったんだ。

まず午前中一番最初の作業は「はたき」。昨日濃く描きすぎたと思ったが、ガーゼで表面の粉をはたき落とすと以外に薄くなった。
次に影つけ作業開始。黒く塗る作業なのだが、車のアクセルにちょっと触れただけですぐスピードが出るのと同じような感じで、ちょっと木炭が紙に触れただけで凄く黒くなる。こんだけしか力入れてないのにこんなに黒くなんの?みたいな。でも、指でおさえたりガーゼではたいたりすると今度は消えすぎてしまう。なんで鉛筆デッサンじゃなくて木炭デッサンなのだろうか。いや、環境を呪ってもしょうがない。与えられた舞台で可能な限りの成功をおさめるしかない。そして、状況をよくするにはもう考えるしかない。考えぬいて突破口を見つけるしかないんや。紙と木炭が当たるか当たらないかのスレスレのところで腕を動かす。するとわりと綺麗に描けた。思いっきり濃く描いて指で拭き取ったりして調整するという方法も考えたが、勇気がないのでやめた。マジチキン。

と、ここで先生登場。さっきトイレで会った人だ。生徒だと思ってたら先生だった。挨拶しておいてよかった。誰にでも分け隔てなく礼儀を正すのが無難っぽい。生徒だと思って無視したりなんかしてたらと思うと、危なかったなあと思う。
その先生が衝撃の発言を。デッサン4日目にして蛍光灯のつけ方が間違えとると。右から光が当たるという設定だから、一番右端の蛍光灯以外は消さないといけないそうだ。え、それっておかしくねえ?なぜもっと早く言ってくださらなかったのだろうか。各先生方が一日に2,3回訪れるというのに、誰もツッコまなかった。先生がパチって電気消した瞬間石膏の影のつき方がコロッと変わって、その瞬間ちょっと笑ってしまいましたね。だって笑うしかないやん。やり直します・・はい。

それはまあ大した問題ではない。それより、いまいち集中力のない原因の一つがわかった。頭の中でしきりに音楽が流れてうるさい。うるさいだけならまだしも、今一番好きな歌で、脳内という低クオリティで何回も聞いて飽きるのを恐れているのに、聞きたくないと思えば思うほどその音楽がループする。でも流れてもいいやと思うと、あ、ええんや、ほな流すでというノリでナイヤガラ滝のように流してきやがる。高校生の頃からこのパターンで少ししか聞いてない曲もすぐ飽きてしまう。
しかも今日しきりに流れたのは、昨日発見した超変な曲↓ これだけは飽きたくなんや・・

group_inou / HEART (single mix)

その曲が流れるのを振り払うのに神経をすり減らしてしまい、たいして集中していないのにもかかわらず疲れる・・。昼休憩無しの予定だったが、あまりにうるさいので一旦撤退。
飯食ってもバナナ豆乳飲んでも頭の中で「フォーリンラブに至るプロセス」とか繰り返しおる。今までも気付かなかっただけで、結構深刻な問題だった。だが、無意識にあったものが意識に登ってきてしまった以上、ほっておけない問題になってしまった。どうすりゃええんや。
勝手に曲流しやがるのなら、逆にこっちから流せばええんとちゃうか?流せる曲もコントロールできるぞ。決断は早く!思い立ったが吉日!私は美術館を飛び出し、ダッシュで駅前まで戻り、コンビニでイヤホンを買った。1380円は痛かったが、アグリッパをうまく描ける権利が買えると思えば全然ためらうことなどなかった。帰りにロー●ンよってからあげクン買いたいとか言い出したらぶっとばすけど、絵の技術にどうして金を惜しむ必要があるのだろうか。時間が惜しかったので帰りも走って帰った。ごめん、嘘です。飯食った後走ったから腹痛くなって、歩いて戻りました。

それでどういう曲を流すのかというと、もう決まっていた。歌がひっきりなしに流れてたら集中できないから、環境音に近くて、精神に響くもの。ただの雑音だとたちまち音楽が流れ出すのはわかっていた。だから精神的に「クる」環境音。そんなもんあるのだろうか?あるんです。「ゆめにっき」のステージ音楽をチョイスしました。ゆめにっきを知らない人はググるかニコニコ動画で検索してみてください。どういうゲームなのかというと、暗い夢の中をただ歩き回るだけのゲーム。なのですが、精神の深い闇を表すような、不気味というか、生理的に怖くなってくる感じのゲーム。それはある意味で芸術的な美しさを放っているので、私はゲームではなくゲームのツールを利用した芸術作品ではないかと思っている。

しかしこれが大成功!あれだけ悩まされていた音楽幻聴がピタリと止んだ。どうやら脳で流せる音楽は1曲が限度らしい。こっちで1枠とらせてもらったぜ。おめえの席ねえから!だが動画なので、今度はiphone電池切れしないかどうかの心配も。まあそれは些細なことだが・・

長いので後半に続く

ゆめにっき↓
【ゆめにっき】何も知らない友人に無理やり実況させてみた 第一夜前半
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石膏デッサン3日目(金曜日)

今日は10時30分まで考え事していた。考えたこと書き留めていたら、次から次へと言葉が浮かんできて、気がついたら10時30分になっていた。周りが絵を描いている中で、一人ノートに何か書いている。

一段落したところで、作業開始。最初から描き直す予定だったが、改めて見てみると、「これでええんちゃう」と思えてきて、作業を強行することに。明日の最後に席変えしなきゃいけないし、そもそも木炭紙買うの忘れたからそうせざるを得なかったのもある。

まず形は完成しているので、影をつけていこうかと思ったのだが、影の付け方がわからない。紙の上での設定では右からの光のみ、だが実際の石膏像には上からの蛍光灯の光ももろに当たっているので、右からの光のみの状態とまるで光の当たり方が異なる。見たまま描いたらええんちゃうのと思うかもしれないが、そういうわけにはいかない。光は移り変わるもので、午前と午後だけでも見え方が異なってくる。天気が変わろうものなら別の日に白かった部分が黒に、黒かった部分が白になることもある。よって見える光を追ってもだめで、「色を置き換える」ことが必要となってくる。実際には白く見えていても、本当は影がついて黒くなるはずだから黒く描くといった具合に。それに色の置き換えができないと、何も見ずに描くことができなくなってしまう。

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20120203 agr sekko

↑それぞれ別の日にとった同じ像

だが、何を基準にどの部分が暗くなってどの部分が明るくなる「はず」なのかがわからない。午前中は右往左往しているうちに終わってしまった。

昼休憩の時に、外の風に当たろうとして外に出ると、主管講師のN先生がキセルを吸っていた。さすがは美術の先生。一服するにもタバコではなくキセルをチョイスするあたりオシャレ度がそこらの人とは違う。ただ、この先生には早死にしてほしくないので、キセルも吸ってほしくなかった。

その先生に、正直に影の描き方がわからないと言うと、次の答えが返ってきた。実際はこんな神のおつげみたいな言い方ではなくええおっちゃんっぽい、なおかつわかりやすい言い方だったが、文才のない俺が再現することは不可能だから内容だけ書くことにする。

“光よりも形が大事。その形を出すために光が必要。光は整合性を重視するより、どうしたら立体に見せられるかの方が重要。よって、本来こうなるはずという考え方は大事だが、現実に光を当ててみた場合と違って描いても、立体に見えればそれでよい。光はすぐ移り変わってしまうもので、それを全部正確に描くのは不可能。要約すると、大事なのは形で、形を出すために光が必要だから、立体がきっちり表現できるような光の置き方ができれば、現実の光と違っていてもかまわない”

超納得のいく答えで、なおかつ何とかなりそうだったのでこれを聞いたときはめっちゃテンション上がった。N先生マンセー。

午後の作業に入ろうと思って部屋に入ると、一人しかいない。他の人はもう完成させて帰ってしまった。その一人の人が話しかけてきた。料理研究家っぽい顔立ちで、いつも笑顔の穏やかな感じのおばさん。
「何回計っても合ってるのに、なぜか実物に似ないんだよねー」
「僕もそれなんですよ!なんででしょうね」
みたいな会話をした。

その後お互い自然に作業体制へ。まず形を整える。特にポリゴンの部分(カクカクしているところ)を丹念に描いていく。実は午前中にもその部分は描いていたのだが、すごくズレたため修正を余儀なくされる。そして、だいたい完成して後は色を付けるだけの段階に入った。

20120203 agr


N先生が部屋にやってきた。
「チップ(ポリゴンの一面)の集合体で大きな塊を作ると、少しのズレが大きな歪みをもたらしてしまう。だから、顔の幅などの大きな構図に誤りがないかよく計ってみて、色を描いている段階で面を意識してチップを描いていったらいい。チップ一つ一つより全体の構図の方が大事で、チップは少しズレていても構わない」
もう全部チップ描いてからそのアドバイスはおせーYO!細かいカクカクより全体にズレがないかどうかの方が大事ということで、主要なところを計り直してみた。すると・・チップズレまくりやんか。こんなに濃く描いたらもうやり直しがきかへん。ここまでやって立ち往生してしまった。よく計った方がいいと言ったのは、すなわちズレているということだったのだろう。
そのままこの日は終了。明日、なんとかします・・
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石膏デッサン2日目(木曜日)

※今日書いたブログ一回消滅していますので、記憶の切れ端で書きました。よって、グダグダな文章になっておりmす。

石膏デッサン2日目。今日もいろんな考えを巡らせた。こう、読書や絵画を真面目にしていると、今まで自分がいかに何も考えずに生きてきたかが実感できる。そう、それはまるで動物のよう。考えない人間は動物と変わらないんじゃないかと思う。でもそれは自分ではなかなか気づかない。知的生命体であるという奢りからだろうか?人は言語を使うだけで知的だと錯覚するが、精神の次元を高めていかないと、それは動物の鳴き声とあまり役割が変わらない気がする。

それはそうと、今日のデッサンの様子と経過報告。

朝一で行ったら一人しか来ていなかったことに驚いた。とりあえずロッカーから道具一式持ってきて席につき、まず昨日のdasakuをカルトンから取り外し、新しい紙をセット。要するに最初からやり直し。そして3日間体験コースとデッサン1日目で学んだデッサンの基本をメモした紙をさっと見直す。その後、どうしたら昨日と同じミスをしなくなるか考え、描き始めた。

午前も終わりに近づいた頃、そこには昨日とほとんど変わらない絵の姿が!もう頭を抱えましたね。なんでこうなんねん。

もう訳わからなくなってきたので、とりあえず昼休憩をとることにした。カバンを開けて、オニギリ忘れてきたことに気づいた。しょうがないので美術館内にあるレストランに行くことに。とりあえず450円のうどん頼んだ(実際には割引で410円)ら、味が薄かった。すまし汁にうどんそのまま入れたみたいな。そういう味なだけならまだしも、インスタントっぽかった。まあ飽食文化に慣れて感謝の心を忘れただけかもしれないが。でもその時は感謝なんて心の余裕はなかった。うどん食ったあと、30分ほど寝た。ふて寝に近かったような気がする。うどんのことじゃなくて、アグリッパの絵を描けるビジョンが思い浮かばなかった。

13時頃教室に戻り、とりあえずどうするか考えた。最初から描き直すことは決めていた。計り棒で計りまくった結果があれだ。あんなに測っても結局ズレるなら、最初からフリーハンドで描いた方がよくないか?そもそも計っても顔の4分の1をちょっとはみ出るとか、そういう中途半端な値は活用が困難。それに加え、どんなに計っても結局勘に頼らざるを得ない場面が出てくる運命にある。マインスイーパーと同じだ。だったらもう最初から自分の勘を信じよう。今まで自分に何度も裏切られているから自分のことが信じられない。けれども、こんな自分でも信用するしかない。しかしフリーハンドで全部なんとかなるなら最初から計り棒なんて存在しないわけで。
こんな風にいろいろ考え、その結果 重要な箇所(絶対計った方がいいところ、計るべきところ)を計る→「人を描くのって楽しいね」に載っていた輪郭のとり方を使う(フリーハンドで)→後はフリーハンド→なんでズレるのかわからないところは計る こういうプロセスをたどることにした。

描いていて何回かデジャヴを見たが、前回よりマシになった。というか、似てる?
似ていると思ってからは、作業が楽しかった。自分のやっていることが正しいと思えることができるというのは、本当に幸せなことだと思う。てか最初からフリーハンドでよかったような気がする。まあ午前中Dスケールで計りまくったものと同じ像を描いているのだから、輪郭は全部わかっちゃっていたわけなんだが。それとは逆に顔は、午前中はほとんどフリーハンドで微調整を繰り返した果てに諦めたが、午後からは計りを何回か使った。計りを使うところとフリーハンドでやるところの使い分けも大事なんだなと思った。

計り棒に小さい練り消しをくっつけてメモリ代わりにする「練り消し棒」を発見したのも大きかった。これによって中途半端で使えなかった値も活用できるようになった。

しかし課題も多い。まず大まかな線を引くときに、大まかすぎるというか、雑に何本も引いてしまってどれが正しい線かよくわからなくなるところ。大まかといっても、けっこう正確に線引かないと役に立たない。それと色の塗り方が汚い。石膏のツヤが出なくなることが予想される。あと頭のポリゴンの部分が大きくズレている・・これ修正できるかなあ・・

でも一番問題なのは・・ 後でiphoneで写真とって見てみたら似てないね。うまく描きたいという願望から脳内補正をかけてしまったww 似ていなくてもとりあえずこのまま色を描いてみて光の当たり方の勉強をすべきか、似るまで何回でも描くべきか。これはすごい悩みどころ。

重要な決断に答えを出せないまま明日を迎える。そういえば、明日は友人の作品がインターネットの絵画販売サイトに載る日だ。羨ましいなと思う反面、どんな絵なのか楽しみだったりもする。
明日も気合入れねば。

↓昨日

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↓別人・・?

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↓本物

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結論:似てない ちなみに午前描いて途中でやめたやつは、写真撮るの忘れました。明日とってきます。
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石膏デッサン1日目(水曜日)

 あまり知られていないが、大阪市立美術館の研究所というところで石膏デッサンの勉強が安くでできる。要は美術教室に通うことにした。
なぜ24にもなった無職の男が週6で石膏デッサンをしなければならなかったのか。その理由は徐々に書いていこうと思う。書き溜めてはいるが、全然整理できていないので使えへん。おまけに時間ない。ホンマ時間あらへん。

では今日一日のことをさっとおさらいする。

朝は大慌て。入所に関する書類なくすわ、ギリギリで家でてヒゲ剃っていないのに途中で気づき、電車は寝過ごす。これを見ると、私がどんな人間なのかがわかっていただけるだろう。

今日は入所一日目なので、午前中は施設についての説明と道具の使い方の説明だけだった。しかしそういった類は半分ぐらいしか頭に入ってこない。説明自体聞けてもその理屈がよくわからないこともある。よく集中して聞こうと思うと逆に何語しゃべっているかよくわからなくなったりする。本当はそこが一番重要なのに、集中して聞くことができない。毎度のことながら自己嫌悪に陥る。質問コーナーもあったが、わからないことが多すぎて聞くに聞けなかった。明日また聞いたらええわ。そういえば「一年で何回休学できますか」って質問している人もいた。まず最初に頭に思い浮かぶことが休学って、君は何しにきたの?仕事忙しいのはわかるけど。その後試験は1週間かかるから毎日来てくださいという説明があって仕事勢涙目www せいぜい有給休暇もらうか無理なら会社やめたらええんちゃう?www

道具の使い方に関しては、3日間体験コースで習ったからおさらい。でも一度聞いただけでは理解できないということを知っているから、真面目に聞いた。でもやっぱり途中で頭に入ってこなくなった。それでも、誰もが万全だというわけではない。不完全ながら無理やりやらなければならない時もある。バグだらけでも仕方ないから発売してしまうゲームもある。納期迫ったシステム屋は徹也地獄だ。みんなギリギリでやっている。ない時間・体力を無理やり捻出している。それなのに今の俺はなんだ?ちょっと集中できないぐらいで投げるのか?あと1分。あと1分頑張るんだ。そう言い聞かせながらなんとかメモした。後で見直してみると大事なとこは箇条書きではあるがメモできていた。後でまとめなければ。

昼休みは美術館内にあるカフェ行くとカツ丼が850円もするので自前でオニギリ2つ持ってきた。食べる用の部屋あったけど、リア充集団が陣取ってたから見ると同時にログアウトした。外で一人で食ったが、孤独ではなかった。友達がいないことがなんだっていうんだろう。人生の目標は、友達と楽しく凄すことじゃない。自分自信を磨き、崇高なる魂を手に入れること。その過程で、ライバルと呼べる人が現れたら、その人と競い合いながら成長すればいい。その人と語り合うことがあれば、その人を友と呼ぶのはありだろう。俺はそこを履き違えていて、友達多く作って友達自慢することが善と勘違いしてきた。だからここまで落ちぶれた。それに、1人でいる孤独より人と一緒にいるときに感じる孤独の方がどれほど辛いだろうか。

昼休みの前に席取りしたからルンルン気分だった。3日間体験コースで席がどれほど大事か思い知らされたからだ。一番前・ポリゴンのアグリッパとかなりいい物件。アグリッパって何かというと、わりと彫りの深い石膏像の中でもさらに彫りが深い部類に入るおっさん像。目が影で隠れているほど。鼻も西洋人らしくでかい。しかもポリゴンタイプで面の組立、色・光の理解がしやすい。

その条件の中スタート! まず最初に考えること。基本を思い出し、忠実に実行すること。それを心がけてやった。つもりだった… しかし作業が遅い。計り棒使いながら慎重に丁寧に・・ってそんなシマりのねえケツみたいにトロトロやってたんじゃだめ。私には時間がない。24歳で何も持っていないということは、それは相当のことをしなければならない。つまり描く枚数を早める。だがクオリティは下げない。それが求められるというのに、この部屋で一番遅い。クっ… まあ人と比べっ子したところで無駄なんですが。周りに流されないで自分のペース。しかし計りに妥協があったせいか、ズレにズレてどこがどうズレているのかすら判別のつかない状況に。目も4つぐらい描いたからピカソみたいになっとる。それでも諦めたらそこで試合終了なので、直しまくって。でも顔は「誰だよおめえよう」って言いたくなるほど似ていなく、でもなんで似ないのかわからず、これ以上やっても無駄と判断して終了30分前に退出してしまった。

そうなってしまった原因はいくつか考えられる。
①考えて描かなかった:描くことで一番重要なのは論理的にものを考えること。それをしなかった
②集中していなかった:いつものアレ。集中力なくなってくると、まっいっかの見切り発車をしよる。ちゃんと見ているのか?
③人体のことに関して無知:人間の顔を描く本はたくさん売っている。骨格も自分で学ぼうと思えば学べるから、勉強する順番としては人体デッサンが先?

まだまだ書き残したことはたくさんありますが、今日はここまでにします。

↓石膏アグリッパ

20120201agr s

↓アグリ・・・

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ゲオビ(笑)

Author:ゲオビ(笑)
右往左往している間にアラサーになった男です。

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